無理を承知でお願いしますー。Twitterユーザーの弥太郎(@Nyanglia)さんがアカウントで古い写真を公開しました。石碑らしき建立物を背にした2人は祖父母。50年前の金沢といいます。「祖父曰く「先祖が建てたもの」とのことでしたが、詳細を聞けぬまま祖父母も父も他界し、分からずじまいなのです」。呼びかけにTwitterユーザーは…。
弥太郎さんが投稿したのが3月10日でしたが、日付も変わらぬうちに場所が判明。さらに翌日には、現地まで行って様子を報告する親切な人も。Twitterユーザーの善意、そしてリサーチ力に感服です。
写真の場所は金沢市に接する石川県津幡町。石碑は津幡町中条地区の潟端集落の入り口にあるという斎藤不染(さいとう・ふせん)の顕彰碑でした。
津幡町役場のサイトによると、不染は1832(天保3)年に生まれ、名前は弥吾良(やごりょう)といい、1892(明治25)年に不染と改名しました。書を学び松石と号し、漢籍(中国の書物)に親しみ、仏教を深く信仰、村人を導いていきました。1856(安政6)年の長雨で稲田が水につかり村人は疫病に苦しみました。惨状を救うため、不染は米蔵の米を分け与え、藩に救済を願い出ました。また井戸水を引き、集落の20数戸に飲料用として配水し、細く曲がっていた道路を車が通れるように改修。その功を記念し石碑が建ったのは1900(明治33)年。5年後、72歳で生涯を閉じました。
弥太郎さんの旧姓は斎藤。斎藤家の男子には代々「弥」の字が入り、祖父の名前は弥文、曽祖父の名前は弥久といいます。弥太郎さんに聞きました。
「父方のルーツをたどれれば…」
ーTwitterで呼び掛けたのは
「夫と石川県に旅行に行くことになり、ならば父方のルーツをたどりたいと思ったのがきっかけです。父が亡くなった際、金沢から取り寄せた戸籍に曽祖父の氏名や住所があったので、それを元にその上の戸籍が取れるだろう、曽祖父の家族の名前もわかるかもしれない、と考えていました。戸籍を母に頼んだところ、この祖父母の写真も送られてきました」
ー大切な写真ですね
「母は「この石碑がどこにあるのか探してきたら? 金沢市内でしょ?」と軽い気持ちで送ってくれたようです。写真は実家のアルバムで見たことがあり、生前の父からは「祖先が建てた石碑」と聞いていましたが、当時は興味がなく聞き流していました。祖父は親戚について多く話さず、その後父も他界し、それ以上を知る術はありませんでした」
ー弥文さんはどんなおじいちゃんでしたか
「祖父は1900年生まれなのですが、当時の人にしては大変珍しく英語が堪能で、港で通訳の仕事をしていたと聞きました。海外から届いた古い絵葉書の束を見せてもらったことがあります。レントゲン技師でもあったそうで、子ども心になんだか不思議な人だなあと思っていました。カメラ好きで、幼い頃の私が遊びに行くと必ず写真を撮ってくれました。小学校入学の記念写真を撮ってくれ優しい手紙を送ってくれました。写真と手紙は実家のアルバムに貼っています」
ーご先祖さまについては
「曽祖父の弥久は金沢の豪農であったこと、曽祖父が東京へ行くと米の相場が変わると言われていたこと、戦後の農地改革で全ての農地を失ったこと、代々男子の氏名には「弥」の文字が入ることくらいです。なので、SNSで呼び掛けてもこんな不鮮明な写真だけでは難しいと思っていました。グーグルマップで調べることも限界があります。そもそも50年も前の写真で、石碑自体もうなくなっていても当然じゃないの、とも思っていました」
Twitterユーザー大活躍
斎藤不染さんの顕彰碑に赴いたユーザーは、「能登の大地震のときに崩れかかったのを修復してるとのことで少し外観が変わったのではないかとのことです。現在は隣の家の方が管理されていて、バラや樹木が周囲に植栽されています」と報告しました。さらに、国立国会図書館デジタルコレクションの検索を助言した人もいました。
弥太郎さんがデータベースで閲覧した「人事興信録」には曽祖父の弥久さんについての記述があり、文中に「不染の長男」とありました。斎藤不染さんは弥太郎さんの曽々祖父だったのです。さらに「石川県河北郡誌」にもご先祖さまの貴重な情報が見つかりました。
「石碑を見つけてくださった方々はもちろん、不鮮明な写真を加工し石碑の文字を判別するアイデアや国会図書館デジタルアーカイブの検索の助言をいただき、そこから石碑の祖先より前や曽祖母の祖先もたどることができました。石碑に刻まれた文字の意味を教えてくださった方、実際に石碑に赴いて近隣の方のお話を聞いて来てくださった方もおいででした。皆さんのお気持ちに胸が熱くなりました」(弥太郎さん)
斎藤家のルーツ探しに大活躍したTwitterユーザー。「父方とは縁遠くなりさびしく思っていましたが、祖先とのつながりを取り戻すことができうれしいです。もうすぐお彼岸。父と祖父に墓前で報告します」と弥太郎さん。
祖先の息吹が残る石川・津幡には3月末に訪れるそうです。