元「アメトーーク!」芸人がプロバスケ球団の広報に転身 元甲子園球児、出身はセンバツ出場決めたあの超名門

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「ガチガチに緊張して」臨んだ番組の収録。もちろん、明かしたのは平安での思い出。冬場の基礎練習でボールをグラブの手のひら部分で正しく捕球するため、グラブのネットを外して使われる「網なしグラブ」を紹介した。うまく捕球できなければ自分の体にボールが当たる-。漫画の世界にあるような実話をネタにして、笑いを取った。

 しかし間近で見せつけられた先輩芸人の力量は想像の域を超えていた。「野球で無名の公立校が地方大会で勝ち上がっていったけど、強豪校と対戦して、次元の違いを見せつけられたような気分。無理やな、追いつけへんな、と思いました」

 コンビは1年足らずで解散。ただ野球への愛情と知識が世に伝わり、野球関連のイベントや番組で声がかかるようになった。そうこうするうちに、全国紙が新たに創設するウェブメディアから「記事を書いてみないか」と誘われた。

 元々本を読んだりするのは好きで、野球部のマネジャー時代は野球ノートや練習報告書をこまめに提出していた。芸人時代は漫才の台本を書いていた。平安野球部のつながりで西武の源田壮亮選手らプロ野球選手との親交も生まれていた。大好きなスポーツを追い続けたいと、フリーのライターに転身した。

 東京を離れ、関西に戻っていた2021年10月。「プロのバスケットボールチームが京都にあるらしい」「Bリーグって面白いらしい」。友人に誘われ、京都ハンナリーズの試合を見に行った。初めてのバスケットボール観戦。場内の迫力ある演出に驚き、野球とは違い常にボールと人が動く競技の妙味を感じた。それからは、繰り返し会場に足を運んだ。

 年明け、試合会場で球団幹部と話す機会に恵まれた。これまでの経歴やフリーライターの実績を知ってくれていた。「チームで働いてみないか」と突然の誘いを受けた。

 「僕は平安に来て、京都という街に人生を変えてもらった。京都はなかなかプロスポーツが根付かない土地だと思うけど、難しい状況を選んだ方が自分のためになる。京都に恩返しをしたい」と挑戦を決めた。

 京都ハンナリーズは昨季クラブワーストの16連敗を喫し、西地区9位と低迷した。親会社と経営体制も変わり、潤沢な予算を抱える強豪クラブに比べて、苦しいチーム編成を余儀なくされている。昨年10月に開幕した今季も負けが先行し、チームや選手の魅力を発信する広報として歯がゆさが募る。

 追い込まれてからが勝負であり、苦しい時にいかに逆境を受け入れるか-。それが、笠川さんが思う「平安魂」だ。高校2年の時、チームがうまくいかず悩んでいる時に監督から掛けられた言葉が、苦しいとき、つらいときに、いつもふと頭をよぎる。

 「人のために、というのは本心じゃないよ。自分のために頑張りなさい。それが人のため、チームのためになる。自分のためと思って頑張れ」

 高校の時と同じように、また「裏方」に回った。とにかく自分が今できることをする。そうすれば、京都のスポーツの盛り上がりにつながるのではないか。「チームが大きくなって、監督の耳に自然に入って、いつかバスケを見に来てもらえたらうれしいですね」

 原田監督はOBのネットワークを通じて教え子たちの動向を入手し、いつまでも気にかけている。「笠川は高校と大学で7年間マネジャーをして人との接し方は得意だと思う。その長所をプロスポーツの現場で発揮し、腰を落ち着けて仕事をしてほしい」とエールを送った。

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