山陰道インターチェンジから見える窓絵の家 季節や折々の話題をテーマに20年超 制作者に会いに行った

山陰中央新報社 山陰中央新報社

 米子市陰田町の山陰道米子中インターチェンジ付近に、窓にダンボールや色画用紙を貼って絵のように表現するユニークな家がある。隣の安来市出身の記者が幼い頃から数カ月ごとに絵が変わり、20年以上になる。どんな人が制作してきたのか、家を訪ねた。 

 モットーは安く早く

 「窓絵」の作者は介護福祉士の山本博夫さん(62)。自宅2階の窓(幅2メートル60センチ、高さ1メートル)をキャンバスに見立て、近隣住民や山陰道を通るドライバーに向けて作品を公開している。制作は結婚を機に現在の家に住んだ1996年に始め、26年目になった。

 作品は季節や時々の話題に合わせ、全て山本さんが構想から制作までを担う。春に飾ったサクラの絵は、拾ってきた木の枝にピンク色の折り紙やティッシュを付けた。サッカーのワールドカップの年には、ユニホームの中に丸めた新聞紙を詰めて人の形にし、ゴールを決める日本代表選手を表現するなど趣向を凝らす。現在はカタールで開催中のワールドカップに合わせ、選手がシュートを決める場面の窓絵を掲示している。息子が所属していたサッカークラブのユニホームと、ダンボールやスリッパを組み合わせ、サッカー選手を表現した。山本さんは「素人の手作りでも、遠目からだと精巧に見えるのが窓絵の良い点だ」と笑う。

 制作が負担にならないよう、制作費は1作品につき300円程度とし、一日で作り上げることが決まり。山本さんは「日をまたぐと飽きてしまう」と話した。一日で作るという決まりのおかげか、これまで長期間制作を休止したことはなく、窓絵の制作総数は200作品以上になった。

 「子どもたちに喜んでほしい」

 昔から世話好きで目立ちたがり屋だったという山本さん。小学、中学、高校と生徒会長を務め、子どもができてからもPTAの会長や副会長に積極的に立候補した。

 窓絵を始めるきっかけとなる出来事が96年にあった。小学校の学園祭の際、PTAで子どもを喜ばせるために大人たちが着ぐるみを着ることになった。ウルトラマンに登場する「バルタン星人」やアニメ「魔法使いサリー」といった着ぐるみを用意し、どれが喜ばれるか自宅前で試着していると、家の向かいにある幼稚園の園児たちが、着ぐるみ姿の山本さんたちを見て大喜びしたという。

 園児たちの喜ぶ顔を見た山本さんは「子どもたちのために何かしたい」と思い立ち、自宅前を通る人々を楽しませる窓絵を思いついた。子どもたちに向けて始めた窓絵だったが、時には山陰道から絵を見かけたという知らない人が「写真を撮ってもいいですか」と訪れるようになった。鳥取県大山町特産のブロッコリーを窓絵にした際には、町職員が自宅を訪ね「宣伝ありがとうございます」と、本物のブロッコリーを贈呈されることもあったという。

 職場やPTAでも有名になり、窓絵の話になるたびに「えっ、あの家の人なんですか」と驚かれたという。山本さんは「有名になろうと思って始めたことではないので、ここまでいろいろな人に知られるとは思わなかった」と当時は困惑したという。 

 制作を続ける理由

 昔は4人いる子どもが「次は何作るの」と窓絵を楽しみにし、制作を手伝ってくれた。窓があるのは娘の部屋。部屋には窓が別にもう一カ所あるとはいえ、大きな窓は窓絵のせいで年中カーテンを閉めた状態だが、全く嫌がることはなかったという。当時は2カ月に1作品のペースで作品を作った。子どもたちの喜ぶ顔が一番のモチベーションだった。

 現在、子どもたちは結婚や就職で家を出てしまい、昔と比べると制作の頻度は落ちた。テレビでニュースを見て「あれで窓絵を作ろうか」と構想は浮かぶものの、腰が上がりにくくなった。それでもいまだに制作を続けるのは、新作を待つ声があるからだ。

 趣味で入った地域のジョギング愛好会の飲み会で、参加者の1人から「自分は仕事で山陰道を通るので、毎日窓絵を見て元気をもらっている。仕事帰りに見て、家から子どもを連れてまた見に行くこともある」とうれしい一言をもらった。新作の制作が滞ると、近隣住民や妻からも「早く変えて」と催促されるという。

 「自分のすることが誰かのためになっているのだと思うと続けられる。『最近は絵が変わらないし、亡くなったんじゃないか』とうわさされない程度に、今後もマイペースに制作を続けたい」と山本さん。現在は来年の干支(えと)のウサギを使った窓絵の構想を練る。

  20年以上続く窓絵は、人を楽しませることが大好きな男性が描く、遊び心いっぱいの作品だった。車で家のそばを通る機会があれば、どうか安全第一で窓絵を観賞してもらいたい。

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