ダブルケアとは、子育てと親の介護を同時に担う状態のことを言います。晩婚化によって女性の出産年齢が高くなっている昨今では、育児と介護の時期が重なり、ダブルケアを経験する家庭が増えることが予想されています。40代で出産した麻衣子さん(鹿児島県在住・50代、主婦)は、子育てをしながら十数年にわたって母親を介護してきたといい、まさにダブルケアに追われる日々を過ごしてきました。
麻衣子さんは30代半ばに、2つ年上の夫と結婚。40代に突入したタイミングで、子どもを授かり、女の子を無事に出産しました。麻衣子さんの夫は、朝早くから夜遅くまで仕事をしているため、出産直後からワンオペ育児だったそうですが、かわいい我が子の育児をとても穏やかに楽しんでいました。
そんなある日、麻衣子さんの元へ母親から「階段から落ちた。動けないから助けてほしい」と電話が掛かってきたそうです。当時の母親は70代で、麻衣子さん宅から車で15分ほどのところに1人で住んでいました。麻衣子さんは娘を連れて、急いで母親の家へ向かったそうです。
病院に行くと「骨折で、手術の必要がある」との診断が。その後、手術は無事に成功したものの、体を動かすのもつらいようで、母親は誰かの手助けが必要な状態になってしまいました。麻衣子さんの子どもは、1歳の誕生日を迎えたばかりで「これから、どうしたらいいのか…」と悩んだそうです。
とはいえ、母親を見捨てることはできません。麻衣子さんは、自宅から母親の家に通うことを決断し、介護生活がスタートしました。
ところが、麻衣子さんの母親は骨折をきっかけに家に引きこもるようになり、認知症を発症してしまいました。これまで以上に介護が必要となるため、子どもを保育園へ預けることにしたそうです。
それから365日、懸命に介護を続けましたが、母親の認知症はどんどん進み、子どもが小学4年生になるころには、言語機能・身体機能の低下も現れるようになりました。
「自分が想像していた以上に、娘にはつらい思いを…」
その頃の麻衣子さんは、子どもを留守番させ、夕飯時に母親の家へ行くということもしばしばあったようです。
当時のことを振り返って、麻衣子さんは「本当は娘と食事をしながら、学校での出来事を聞いてやりたいと思っていた」と、少し目を赤くしながら語ります。当時夕食を一緒に食べることができず、今でも子どもに罪悪感を抱いていたのでしょう。
それから3年後、麻衣子さんの母親は誤嚥性肺炎のため亡くなりました。
◇ ◇
母親が亡くなってからは、中学校へ進学した子どもと毎日自宅で過ごし、夕飯も一緒に食べることができています。当たり前の日常ですが、麻衣子さんにとっては“やっと叶えられた夢”なのかもしれません。
介護生活が終わり1カ月が経ったころ、子どもが「やっとママが私だけのものになった」と、涙を流しながらに話してきたことが記憶に残っているといいます。その瞬間「自分が想像していた以上に、娘にはつらく寂しい思いをさせていたのだ」と、感じたそうです。
麻衣子さんは「十数年の介護生活で、娘にはふびんな思いをさせました。家族での外出もほとんどなく、とても寂しかったと思う。けれども、1度だって不満を言うことなく、理解してくれていた娘には感謝しかないです」と語っていました。