スクリーンから漂う、さすらい感。映画『さすらいのボンボンキャンディ』(サトウトシキ監督作/10月29日公開)で、ヒロイン・仁絵(影山祐子)を惑わすマサルを演じた俳優からは、ただ者ではないオーラが放たれている。調べてみたら、本業はミュージシャンの原田喧太(52)だった。2011年に71歳で亡くなった名優、原田芳雄さんの息子である。
親父の力を借りて名前を売るなんて
メインの役で本格的に映画出演したのは『infinity〜波の上の甲虫〜』(2001)以来約21年ぶり。普段はミュージシャンとして活動しており、吉川晃司や大黒摩季ら実力派シンガーのバックでギターをかき鳴らしてきた。
『さすらいのボンボンキャンディ』の原作者・延江浩は、父・芳雄さんの遺作となった映画『大鹿村騒動記』(2011)の原作者。しかも直々のオファーだったという。「延江さんから、これは絶対に喧太にやってもらいたいと。本業のミュージシャンとしてスケジュールも埋まっていたし、俳優としてのブランクに対する不安もあったので最初は断りました。でも延江さんは親父とは深い仲だし、サトウトシキ監督も僕がいい返事をするまで1年半も待ってくれた。そんなに待たせたからにはやらざるを得ないと引き受けました」と出演経緯を振り返る。
正直な話、俳優業からはあえて距離を置いていた節がある。父親の存在があまりにも大きすぎたからだ。周囲からの色眼鏡が嫌で16歳で家出。連続ドラマ『痛快!ロックンロール通り』(1988年)で俳優デビューするも、それ以降は俳優としてのオファーを極力断り続けてきたという。
「当時は第一次二世ブームみたいなところがあり、俺のところにもドラマ出演の話などが舞い込みました。音楽の道を自分の力で歩もうとしているのに、そこで親父の力を借りて名前を売るなんて俺的には自己否定以外のなにものでもない。それで親元を離れました」と打ち明ける。
親父の無言は気持ちの理解
息子の決断に対して芳雄さんは無言で見送ったという。「親父は何も言いませんでした。きっと俺の気持ちを理解してくれていたからだと思う。いざ自分が親になって思うのは、悲しかっただろうなということ。自分の息子が16歳くらいで家を飛び出したらと考えると、死ぬほど悲しい。両親には悪いことをしたなと思っています」と今だからこそ感じ入る。
2011年7月に芳雄さん死去。その頃から俳優復帰論が周囲から漏れ聞こえるようになった。「親父が亡くなった頃から『俳優やらないの?』と言われ出すようになって、自分としては意外でした。みんなそういう風に思っていたのかと。ただ自分としても芝居の面白さは知っていたので、普段とは違うことをすることでミュージシャンとしての幅も増えるだろうし、音楽面での変化を確かめてみたいという気持ちもありました」と俳優復帰を決めて、現在に至る。
亡き父を身近に感じた撮影
『さすらいのボンボンキャンディ』では、妻子がいるのにもかかわらず、仁絵(影山祐子)と不倫する駅員・マサルを不良性感度高めに好演。錆びたナイフのような危うさが漂う。「芝居の面白さはわかっていたけれど、それを自分でどう表現すべきなのかがわからない。友達の吹越満さんや親戚の佐藤浩市さんに色々と聞いたりして、浩市さんからは『わからなくていい。そういうものだ』と共感してもらえました」と実力派たちから背中を押された。
でも一番話を聞いてほしかった人物こそ、名優であり父親でもある芳雄さんだ。「今なら聞きたいと思える事があります。こういうシーンのときにはどんな感情でやっていたのか、こういう状況のときにはどう振舞っていたのか。撮影中ふと“親父だったらどうしていただろうか?”と考えることもありました」と亡き父を想い、そして身近に感じた。
息子が今年俳優デビュー
血は争えないもので、喧太の息子・原田琥之佑が今年公開の『サバカン SABAKAN』で俳優デビューした。「長女も俳優活動をしているので家族を画面越しに見ることに抵抗感はないけれど、さすがにドキドキしました。画面に登場した途端に号泣。親父も天国でひたすら喜んでいると思う。俺についてはどう思っているか?…うーん、良かったなの一言程度じゃないですかね」と笑う。
『痛快!ロックンロール通り』には芳雄さんも出演しているが、親子共演は叶わなかった。「テレビ局側は面白がって親子共演をさせたかったようだけれど、それは絶対にやめてほしいとお願いしました。現場で親父と顔を合わせることがないように撮影日も別にしてもらって。当時は若かったから絶対無理!という心情でした。でも今だったら考えたかもしれない」と残念がる。
叶わなかった親子共演をいつか息子と
ならば見てみたい、喧太と息子・琥之佑の親子共演を。「共演はしてみたいけれど、親子役はちょっと嫌かもしれない。息子に対して芝居を超えた情が湧いちゃいそうで。でもいつか機会があれば」と期待する。
芳雄さんと長らくタッグを組んだ阪本順治監督作への出演にも意欲的だ。「50歳を超えてあえてもう一度自分なりの視点で俳優業と向き合っていきたいと思えた。その先にはまだまだ自分の知らない世界があるだろうし、比べられることも面白そうだから」。亡き名優をリスペクトしながら、新たな地平を切り開こうとしている。