ヤクルトの「村神様」こと、村上宗隆内野手。弱冠22歳にして1シーズン56本塁打を達成、日本選手最多記録を更新し、注目を集めた。
「村上」という名字はメジャーな名字で、全国ランキングでは35位。沖縄以外に広く分布し、とくに愛媛県や広島県を中心に瀬戸内海周辺に多い。では、「村上」のルーツはなんだろうか。
一般的には「上」「下」のつく名字は方位由来である。基本的には、標高の高い低いで決まる。「山上・山下」「坂上・坂下」は、それぞれ山や坂の上下に住んだことに因むものでわかりやすい。「寺」と「宮」は「下」は多いが、「上」は少ない。これは、お寺や神社は周辺より小高い所に建てられることが多く、麓に住むことは多くても、その上に住むことは少ないからだろう。
また川の場合は、上流が「上」で下流が「下」である。こちらは「上」が多く「下」が少ない。川の場合は基本的に下流が栄えており、村や湊として独自の地名がある。それに対して上流の方は人家も少なく、下流の人から見て「川上」で代用された。
川は「上下」と標高が一致しているが、そうでない場合もある。道の場合は、都や中心地に近い方を「上」といい、反対側を「下」と読んだ。今でも、鉄道や高速道路の上り下りはこれに由来する。
「村上」も本来は「村の上手=町に近い方」という意味だが、「村上」はこれとは別に特別のルーツがある。
それが、信濃国更級郡村上郷(現在の長野県埴科郡坂城町)をルーツとする地名由来の「村上」である。ここには源平合戦で源義経に従ったという村上氏がおり、以来戦国時代まで栄えた。
この一族は鎌倉時代には後家人となって各地に広がった。中世に瀬戸内海を支配していた村上水軍も、この信濃村上氏の一族と伝えている。現在、愛媛県と広島県に集中しているのは、この村上水軍の末裔だろう。
村上水軍は関ヶ原合戦で西軍に属して敗れて消滅、一族は各地の大名に召し抱えられた。村上水軍3家のうち、能島家と因島家は毛利家に仕えて長州藩の船手集(水軍)となり、久留島家は大名として存続したものの、名字を「久留島」と改めて、山の中の豊後森に移された。
村上選手の出身地である熊本県にも「村上」は多く、県順位は4位。熊本市を中心に県北部一帯に広がっている。