1980年代を代表するアイドルで、ヒット曲「夏色のナンシー」で知られる早見優さんがデビュー40周年を迎えたのを機に、独立を発表しました。50代半ばで思い切った選択をした理由や、同期の中森明菜さんに対する思いなど、ご本人に話を聞きました。
コロナ禍に「このままフェイドアウトしてもいいかな」
早見さんは8月21日、自身のブログとインスタグラムで独立を発表。「皆さま いつも温かい応援ありがとうございます。活動40年目を迎えるにあたり、このたび独立することになりました。長年お世話になったキープスマイリングの皆様にも感謝の気持ちでいっぱいです。これからも音楽・お芝居、様々なことにチャレンジしていきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」と決意表明しました。
50代半ばでの大きな決断の背景には、恩人の死がありました。
「デビュー前から育てていただいた、前の事務所キープスマイリングの社長が昨年、がんで亡くなられました。闘病中、社長と話をする中で『優ももう(芸能活動が)長いんだから、自分が信頼できるスタッフを集めて、チームみたいにしていくのもいいんじゃない?』と独立を提案されたことがありました。その時は『何言ってんのよ〜』なんて笑って受け流していたんです」
しかし社長は2021年8月、闘病の末に他界。コロナ禍のため、仕事の延期やキャンセルが続いていた時期でもありました。
「デビューして初めて、仕事が全くなくなるという経験をしました。このままフェイドアウトしてもいいかな…なんてことも思いました。そんなときに社長の言葉を思い出しました。独立に迷いもいろいろありましたが、選択肢としては、独立するか、このまま辞めるか、どちらかだったので。誰のせいにもできないし、状況も変わらないから、どうしたらベストに前進できるかを考えた末の選択が独立でした」
早見さんの決断にファンからは「これからもずっと応援します」「どんなことがあっても応援し続けます」「がんばってください!」「優さんらしく無理せずがんばって」など、多くの温かい応援メッセージが寄せられました。
中森明菜さんへの思い「私は同期であり、明菜ちゃんのファン」
早見さんは1982年「急いで!初恋」でデビュー。小泉今日子さん、中森明菜さん、松本伊代さん、石川秀美さん、堀ちえみさん、三田寛子さんらそうそうたる同期メンバーとともに「花の82年組」と呼ばれ、日本のアイドルシーンをけん引してきました。
「82年組は本当に仲がよくて、横の連携が強いんです」と言う通り、早見さんのインスタグラムには82年組のメンバーがたびたび登場し、昭和世代のファンらを喜ばせています。
「ここ数年、明菜ちゃんどうしてるのかなと82年組のみんなで話をしていました。先日のニュースで元気そうな様子を知り、すごくうれしかったです。私は同期でもあると同時に、明菜ちゃんのファンなので、明菜ちゃんの歌をもう一度聴けるのかなと思うとすごくうれしいです」
あらためて気付いた「歌うことが好き」
早見さんは10月12日、3枚組ベストアルバム「Affection~YU HAYAMI 40th Anniversary Collection~」の発売を控えています。
「40周年という節目が近付き『40周年のベストアルバムを出してもいいんじゃない』『新曲も久しぶりに何曲か入れましょう』と話が進みワクワクしました。クリエイティブな仕事も好きだし、歌うことが好きだったとあらためて気付きました」
野村義男さん作詞で松本伊代さん、森口博子さんと歌う「今が一番好き」、長女ありささんと次女かれんさんが作詞と歌唱に加わった「make lemonade」、Annieことアン・ルイスさんとアンさんの息子・美勇士さんが手掛けた「Your Last Woman」の新曲3曲を含む全41曲入り。デビュー曲「急いで!初恋」や「夏色のナンシー」、「誘惑光線・クラッ!」など、懐かしのヒット曲の数々も網羅されています。
◆早見優 3歳から14歳までグアム、ハワイで育つ。14歳でスカウトされ、1982年「急いで!初恋」でデビュー。1983年「夏色のナンシー」リリース。1996年に結婚。二女の母親。YouTubeチャンネル「早見優チャンネル」も開設。