名古屋グルメといえばコレ!その1~鉄爺のおいしんぼ#2

台湾ラーメンとマイ定番のコブクロ

沼田 伸彦 沼田 伸彦

 鉄人爺さん、略して鉄爺。43年の会社生活を卒業し、「暇を持て余さない老後」をコンセプトに第二の人生にチャレンジする。里山、自転車、マラソン、旅にグルメに…。

 味仙の台湾ラーメンといえば、グルメ番組などでも必ず取り上げられる定番中の定番。現地の知り合いに声を掛けられるまま、新幹線に乗って名古屋へ向かった。夕刻に到着して、迷うことなく千種区今池にある味仙本店へ直行する。

土曜日の午後6時過ぎ。店の前には30人ほどの行列ができていた。「土日のこの時間はいつもこんな感じですから」。タクシーのドライバーに同情されながら最後尾に並んだ。

生まれて初めて名古屋に足を下ろしたのは1980年、24歳のころ。阪神タイガースの遠征にデイリースポーツのトラ番記者として同行出張し味仙に連れて行ってくれたのは先輩記者だった。

当時は人通りの少ない路地に建つ小さな店だったような記憶があるが、いまや数倍の間口の3階建てのビル。この本店にとどまらず、名古屋市内、愛知県内、東京、大阪と店舗を展開する名古屋グルメの代表格になった。

その看板となったのはひき肉、ニラ、タップリの唐辛子が効いた醤油味の台湾ラーメンだが、その陰に隠れたマイ定番が、豚の子宮を茹でたものを唐辛子、ニンニクがたっぷり入った醤油ダレに漬けた「コブクロ」だ。座るなりビールと一緒にまずはこれをオーダーした。

当時からタイガースに帯同しての遠征出張となると、3~4泊がスタンダード。顔のさす大阪、神戸を離れると選手の解放感も増して、東京、横浜、名古屋、広島と夜の町に夜な夜な繰り出した。

名古屋のもうひとつの定番、手羽先の唐揚げが看板の「風来坊」に初めて連れて行ってもらったのは、代打男の川藤幸三さんだった。座敷に座るなり「10人前」と手羽先を注文して度肝を抜かれた。しかも「お前、自分の分を頼めよ」と。10人前は1人前だったのだ。

掛布雅之さんが行きつけだったのは小ぶりの餃子が評判の「江南」という中華料理屋だった。店は現在も健在だが、数人でカウンターに座ると、目の前の壁に並んで貼られた手書きのメニューを指さし、「端から端まで全部」というのがお決まりだった。

そんな40年も前のことを思い出しながら、久しぶりの味仙のコブクロに浸った。もちろん〆は台湾ラーメン。店を出ると、まだ人が並んでいた。

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