獣医師であるK先生は、脳に障害がある白茶トラのオス猫を飼っておられます。
その子は6月12日で、保護されてちょうど2年が経ちました。保護されたときは体重が600グラムで生後2カ月程度であったと考えられますので、現在は2歳2カ月齢ということになります。保護された地名にちなんで、ムネオ君と名付けられました。
ムネオ君は毎日朝晩の2回、注射器で流動食を口に入れてもらいます。自分からは食べません。トイレは覚えられないので、いつもオムツをしています。もよおしたときはニャーニャー鳴いて部屋をうろうろしだすので、そのときはすかざず、K先生は新しいオムツを持って待ち構え、出たら即オムツ交換をします。もちろん、K先生がいないときは、しばらくは汚れたオムツをつけっぱなしです。
毛づくろいのマネはしますが、ちゃんと毛に舌が当たっていないので、毛づくろいは出来ていません。毛はボサボサです。あまり遊びません。1日中、ボーッとして過ごしています。時折、頑張って自力でベランダに出て風にあたります。ときには、床の模様が気になるのか、前足で獲物を追うような仕草をしたり、少し走ったりもしますが、ジャンプはしません。ですから、キャットタワーや階段は登れません。
K先生が就寝するときには、ムネオ君をベッドの横に置くと、そのままほとんど動かずに朝まで一緒に寝てくれます。
そして、4~5日に1回、痙攣発作が起こります。
◇ ◇
2年前の6月12日、K先生の友人Bさんがママ友と道を歩いていると、顔から血を流して倒れている子猫を見つけ、保護しました。おそらくは、交通事故でしょう。すぐにK先生の病院へ連れて行きました。その子がムネオ君でした。
鼻からも口からも出血しており、意識は有りません。身体はとてもきれいで無傷でした。しかし、顔面、特に右側は、触ると頭蓋骨が細かく割れているようで、メリメリ音がしました。そのうちに犬のようにハアハア粗い呼吸をしだして、身体が熱くなっていきました。
K先生は「これは、助からないのでは…」と思いました。Bさんたちはその場で話し合い、お金はふたりで支払うので、なんとかこの子を治療して助けて欲しい。そして、状態が良くなったら里親さんを探すので、1週間預かって欲しい。とおっしゃいました。Bさんたちはすでに犬や猫を飼っておられ、これ以上は飼えないということでした。
K先生は、出来る治療をいろいろ試みました。しかし、夜になってもハアハアは止まりません。K先生はムネオ君をケージに入れて自宅に連れて帰り、自分のベッドの横にケージを置いて寝ました。翌朝、K先生が目覚めると、ムネオ君はとても静かになっていました。「亡くなったのか…」K先生がそう思ってケージを覗くと、ムネオ君の呼吸は落ち着き、ただ静かに眠っているだけでした。
それから3日後に、ムネオ君の意識が戻りました。このまま元気になってくれるのでは?と、K先生は大いに期待しました。しかし、右眼の眼球が飛び出てきて、何日経っても、全く食べませんでした。体重も減ってきていたので、K先生は鼻にチューブを入れてミルクをどんどん入れることにしました。すると、今度は吐くようになりました。ふと部屋を見まわすと、隅からドングリのような植物の種が出てきました。ムネオ君が吐き出したものに違いありませんでした。K先生は、野良猫達は食べ物を自分で探さなくてはならないから、こんなものまで食べていたのか…と思い、ムネオ君を愛おしく感じました。
ムネオ君は日に日に元気になっていきましたが、やがて旋回するようになりました。ずっと延々と反時計回りに旋回を続け、疲れると眠る…を繰り返しました。はたして約束の1週間が経ち、Bさんたちが来られました。しかし、これでは連れて帰る訳にはいきません。病院の診療時間も終わり、病院が閉まってからもBさんたちは話し合い、ついにK先生を呼び出し、決意を伝えました。
「こんな状態では里親さんも現れないだろうし…安楽死…をしたほうが良いのかな…」
誤解を恐れずに言いますが、これは正しい選択だと思われました。
私の勤務している病院でも、年に何匹かこのように交通事故に遭って脳や顔面に重い障害が残るであろう猫が来ます。しかし、保護した猫の管理は、保護した方にしていただくのが原則です。動物病院で飼ってくれないのですか?とおっしゃる方がおられますが、そのような動物をどんどん受け入れていたら、キリがありません。ですから、保護した時点で一命を取り留めても、重い障害が残る可能性が高ければ、残念ですが安楽死を勧めるのが実態です。
ところが、1週間献身的に治療を続けたK先生には、ムネオ君の安楽死は受け入れられなくなっていました。
「じゃあ、私が飼います」
当時、K先生の病院はとても忙しく、いろいろなことがあって精神的に追い込まれていたため、ムネオ君のお世話がむしろ心の癒しになっていたのでした。ですからK先生には、この世にムネオ君がいなくなることは考えられませんでした。
「こんなことは最初で最後にしますが、ムネオ君は、私が飼います」
K先生は言い放ちました。そして、ムネオ君は病院の猫になりました。ムネオ君の旋回は、やがて部屋の隅をつたっての徘徊になりました。
最初は眼も見えない、耳も聞こえないようで、自分の周りに全く興味がなかったムネオ君でしたが、3週間後に音に反応するようになりました。それからさらに2週間後に、視力にも大きな改善があったようでした。K先生が自宅で缶ビールを飲んでいたところ、缶のキラキラに反応して、ムネオ君はゆっくりですが光を追いかけるような仕草をしだしたのです。そこでK先生は、アルミホイルでボールをつくって投げました。ムネオ君は、ちょっとだけ猫らしくボールをゆっくりと追いかけました。前足は、全然ボールに当たらないのですが....。
その後、ムネオ君は黒い色もわかるようになりました。病院にいても、黒い衣類を着ている人には反応しましたが、ブルーやピンクの人には反応しませんでした。自宅には黒猫がいるのですが、ムネオ君はその黒猫だけを追いかけ、他の色の猫には興味を示しませんでした。
そして半年たったころ、ムネオ君は痙攣発作を起こすようになりました。人間でもあるのですが、交通事故などで頭部に強い衝撃があった後、かなりの時間が経過してからてんかん発作が起こるようになることがあります。こうなると、発作を抑えるお薬を生涯飲むこととなります。ムネオ君も、以後は1日2回のお薬は欠かせなくなりました。
◇ ◇
脳障害を持った猫はお世話が他の猫より必要ですが、めちゃめちゃかわいいと、脳障害のある猫の飼い主皆がおっしゃいます。ムネオ君は、日中は病院で過ごしていましたが、K先生の病院の患者さんには大人気でした。小さいお子さんたちは皆、「たくさん猫ちゃんがいるけど、ムネオ君が一番かわいい!」と言います。
脳障害の猫は、何故そんなにかわいいのでしょうか?実は私も脳障害のある三毛猫を飼っています。飼う前は、そんなに重い障害があってお世話が大変な猫、自らすすんで飼うことは無いだろうと思っていたのですが、実際飼ってみると、とてもかわいいと思いました。
先日、病院でルンバを稼働させていたのですが、そのとき私は、脳障害のある猫とルンバは似ているなぁと思いました。当院にはいろいろ障害物があったり、いくつも部屋があったりで、ちょいちょいアシストしてあげないと、ルンバ君はきちんと掃除してくれません。時にはじゅうたんの縁に乗り上げて動けなくなっていたり、出入り口のドアが開いていたために外の庭をお掃除してしまっていたり…何かと世話の焼けるルンバ君ですが、脳障害のある猫も世話が焼けます。家でお留守番しているその猫に、ちゃんとオシッコ出たかな?ちゃんとご飯食べたかな?などなど、毎日ヤキモキしていますが、世話の焼ける子ほどかわいいとはまさにこのことでした。
もうひとつ、脳障害の猫の魅力は、純心なことでしょうか?疑うということを知らず、腹黒いこととも無縁です。そして、例えばいろいろな人間に抱かれて揉みくちゃにされても嫌だという感情はほぼなく、されるがままです。障害のない猫だとそうはいきません。たくさんの人間に次から次へと抱かれると、「シャァァァ~(もういい加減にせんかい!)」と怒ることはよくあります。
K先生も、チャカチャカせずに静かに寄り添って一緒に寝てくれるムネオ君に、いまはメロメロです。ごはんの介護なんて、すぐに帳消しできるくらいにかわいいのです。ムネオ君は、K先生にとって天使なのでした。
そして、最近ではちゃんと毛づくろいも出来るようになり、黒や銀色以外の色も認識できるようになりました。少しづつ、すこしづつ、普通の猫らしくなっていくムネオ君なのでした。