日本の郷土史研究を取り巻く環境の劣化がSNS上で大きな注目を集めている。きっかけになったのは京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科特定研究員の相原進さん(@semimaro_panda)による
「日本の民俗芸能の調査だと、どの市町村にも図書館か資料室的なものがあって、資料もほぼ揃っていて、時には物知りな司書さんや学芸員さんまでいて、数日あれば資料が集まる。これが奇跡だということをほとんどの日本人は知らないと思うし、この奇跡を放棄しようとしていることの怖さも知らないはずだ。」
という投稿。
確かに近年、図書館の機能低下や過疎化が郷土史、文化の継承に大きな影響を与えていることはたびたび報道されている。相原さんの投稿に対し、SNSユーザー達からは
「昔、図書館に併設された民俗資料館に行った事がある。なんだろここ?で迷い込んだだけなんだけど、当時、見るからにガキな私に向かって熱く語ってくれた学芸員さん素敵やった。風俗や民俗に興味をもつきっかけになり、面白いと楽しいの幅が広がった。旧くて新しいに触れるチャンスを残して欲しい」
「本来なら国が、税金でこういう図書館資料館、働く司書さんや学芸員さん達を守るべきなのにな。
国の歴史/文化を調べる術が、どんどん失われてくの本当に怖い」
「地元の研究者さんの話を聞けるというのも、最近では奇跡になってきました」
など数々のコメントが寄せられている。
相原さんにお話を聞いた。
--現在、郷土資料をとりまく環境はどのような状況なのでしょうか?
相原:過疎化と少子化で継承者不足だと思われがちですが、実は1980年代の時点で民俗学の領域では「もう過疎化と少子高齢化の流れには逆らえないので、映像記録という道についても真剣に考えよう」という話が出てきています。最近の動向では、民俗芸能の断絶をどうやって防ぐかというよりは、継承以外の方法(アーカイブ化など)で保存する方向に関心が向きつつあります。観光化やSDGsの流れもあって、民俗芸能の保存には追い風が吹いていますが、時すでに遅しという印象です。
なお、社会学や人類学などの社会科学系の研究者は、事前調査の段階で資料の揃っていない芸能やマイナーな芸能を避ける傾向があります。マイナーな芸能の資料をがんばって調べようとしても予算を取れない場合がほとんどですし、調査結果を公表しても評価に直接繋がらないからです。
郷土芸能の資料の収集と整理は、教育委員会や郷土史家が担ってきた経緯があります。ただ、郷土史家は学校の教員などの教育関係者、学芸員、司書などが担っていましたが、教員は業務が多忙になり、司書や学芸員も非正規化が進んでいます。彼らがこれまでのように郷土史家になれる可能性は低いです。
私の故郷の和歌山県由良町の場合、もともとの地元住民はあまり歴史に興味がないのですが、地域おこし協力隊で来た人や、結婚などで嫁いできたり養子で入った人が、歴史や文化に関する資料を調べているようです。
--この問題について社会に呼びかけたいこと、期待することがあればお聞かせください。
相原:指定管理者制度と、司書、学芸員の非正規化のツケが間もなくはっきりと現れるようになります。政治の流れは簡単に変わりそうもないので、住民自身の手で保存すべき文化と記録の作成に取り組んだほうが良いと思います。本当にその地域の記録が必要となるのは研究者ではなく地域住民自身です。
--これまでのSNSの反響へのご感想をお聞かせください。
相原:SNSで何度も「いいね」をもらううちに狂っていった友人や同業者を何人か見てきましたし、反論に反応する中で消耗していった人も多く見てきました。そんなわけで、あまり反応を気にしていません。
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こういった研究環境は一度失われるとなかなか元には戻らないもの。民間での維持活動や意識向上はもちろん肝心だが、行政の無関心を指摘する必要性もあるのかもしれない。
【相原進さん 関連情報】
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