恥ずかしながら今まで知りませんでした。個人的には2021年最大の驚きです。国内三大重工業メーカーの一角、IHI(旧・石川島播磨重工業)の社名のHが、「播磨」じゃないことに…。
いいにくいことをいう日の11月29日、同社の公式アカウントが「社名のHは播磨のHじゃないです」とツイート。添付の図で、「I」shikawajima-harima 「H」eavy 「I」ndustriesと説明しました。驚愕の事実にネットは騒然。「播磨(ワイも表記してくれや…)」「ずっと播磨さんの「は」だと思ってた」「その情報はヘヴィーです(>_<)/」などと長年勘違いや思い込みをしていたユーザーの間に反響を呼んでいます。
2007年に社名を石川島播磨重工業からIHIに変更した同社は、1853年創設の日本初の近代的造船所である石川島造船所(東京都中央区)を起源とします。その流れをくむ石川島重工業が1960年に播磨造船所(兵庫県相生市)と合併して石川島播磨重工業が誕生。当時としては戦後最大の企業合併で、「陸(に強い石川島)と海(に強い播磨)の結婚」と世間を驚かせました。
英語表記の略称として、FHI(富士重工、現在はSUBARU)、MHI(三菱重工)、KHI(川崎重工)の例があり、当たり前と言えばそうなのですが、一兵庫県民として「Hは播磨やろ」と信じて疑うこともありませんでした。気を取り直してIHIのアカウント担当者に取材しました。
―初めて知る事実でした
「アカウントを担当してから、11月29日に本件をつぶやこうと思っていました。前回はCMキャンペーンの時期に自己紹介も兼ねて紹介しました。まだフォロワーが300人くらいだった今年3月にもこっそりつぶやいていますので今回で3回目です」
―勘違いしている社員もいますか
「「入社試験時に知った」「入社してから知った」社員も少なからずいると思います。ただ業界としても比較的地味な「重工業」を選んで入社するわけですから、最初から知っていた社員も多いです。Hに限ったエピソードではありませんがが、IHIロゴは2007年以前以降で微妙に形が違います。社名変更とともに、ロゴもマイナーチェンジしていることは社員の中でもあまり知られていないかもしれません」
―11月29日にこのネタをぶつけたのは、言いづらいから、ですか
「言いづらくはありません。「石川島播磨」として一心同体、長い年月叡智を磨き続けてきたわけですから、そもそも社名として分けて認識していません」
―相生の勤務経験がある記者に聞くと、「地元ではHは播磨だと信じ切っています」と話していました
「そんなお話があると、少し不安になりますね。相生の社員に聞いてみます」
―こうなったら、社名をIHHIにしてはどうでしょう
「ネットでIHHIという話題が持ち上がったことについて一社員としては「なるほどなぁ」と感じています。でも、「石川島」+「播磨」というよりは「石川島播磨」として認識しているので…。「その発想はなかった!」と驚いています笑」
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神戸港を舞台に日本一の総合商社に上りつめた鈴木商店の歴史を網羅したサイト「鈴木商店記念館」では、播磨造船所の歴史を記述しています。同サイトによると、1907(明治40)年、寒村を「西の神戸」にすることを夢見た相生村長・唐端清太郎が、阪神財界・地元有志の出資を得て、播磨船渠を設立。その後、唐端は鈴木商店に造船所の買収と拡張を懇請。鈴木商店の傘下にはいった同社は、播磨造船所と改称されました。
大型船を建造できる設備が整えられ、買収時200人程度だった従業員は、1919(大正8)年に6000人に。従業員を定着させるため、造船所は大規模な社宅街を建設し、商店街、病院、幼稚園、劇場を整備しました。長崎から来た従業員の提案により造船所の海上運動会として始まったペーロンは今は市をあげての催しとなっています。