「世代交代」が進んでいく?
今回の総裁選を前に、若手の会が作られ、人数の多さ(90名)からも、「若手の反乱か!?」と話題になりましたが、こういう場合よくあるのですが、とりあえず顔を出して「保険」をかけておく、他陣営から様子を見に行っている、といったいろんなケースがあります。
若手の会として総裁選の支持候補を一本化するわけではなく、今回「台風の目」になるということではないようですが、「国民から見て、良くないと思われているところは、ちゃんと変えないといけないと、党内からも思っている」という若手の意思表示と、それを党の執行部に認識させた、という意義はあるのだろうと思います。
ただ実は、政治の世界の「世代交代」というのは、国民にとってそう良いことばかり、というわけではないと、私は思います。
「国政」において、政権与党が考えるべき・守るべき対象は、全国民です。すべての世代、あらゆる職業、あらゆる思想信条、様々な人生、多様な苦しみや悲しみを持つすべての国民を理解し、守り、希望を持てる国を造っていかねばならないのです。
そうした幅広い対象の方々の思いを理解し反映した上で、政策を具現化していくためには、当然ながら、幅広い世代による運営と、長年の様々な経験から培われた見識や実行力が、不可欠です。
そしてまた、政治における教育や人材育成というのは、例えば、歌舞伎や宮大工といった伝統技能のようなところもあって、仕組みやマニュアルではなく、経験者から若手に、時間をかけて、しっかりと伝えていく、多くの大切なことを引き継いでいく、という地道な作業が必要になります。
通常の会社と違い、政治の世界には、その職務の特殊性から、システム化された人材育成の仕組みも、継続的な研修やマニュアルといったものもありません。(仮に、マニュアルがあったところで、それを読めば分かる、できるようになる、という仕事でもありません。)そうした中で、様々な経験をしてきた先輩方からじっくり学ぶ、というのは、重要な人材育成の場となっています。(もちろん、なんでも言いなりになる、悪しきことも踏襲する、という意味では、ありません。)
こういった意味からも、重鎮を一掃して、若手だけでやっていけばいいんだ、というほど、単純な世界ではないと私は思っています。(例が適切か分かりませんが)例えば、グローバルな総合商社において、突然、取締役を一掃して全員を退かせ、「これからは、数名の部長と、課長・係員で、世界を相手に、全部やっていくんです!」というやり方は、社内はもちろん、国内外の取引全般において、きっとうまくいかないでしょう。そして、政権与党は、もっと広く、日本国と日本国民全員に責任を負う存在です。
なお、今回、伊吹文明元衆議院議長をはじめとする、多くの自民党の重鎮の方々が引退されます。幅広い経験見識・人脈・政策力を基に、派閥の枠を超えて、若手に対し「日本国のために、諸君はかくあるべき」という薫陶をされ、ときには政権に厳しいことも躊躇なくおっしゃり、議論が紛糾してまとまらない案件も、最後ビシッとまとめ、そして皆がそれに従う――そういった党内の貴重な「重し」がなくなっていく、ということは、実は、総裁選の後ろに隠れた、自民党にとってのひとつの危機なのではないか、と私は思っています。