「そうさ100%他力」!?思わず歌いたくなるお寺の掲示板が話題 “他人任せ”じゃない「本当の意味」

竹中  友一(RinToris) 竹中 友一(RinToris)

お寺の入り口付近でよく見かける掲示板。ふとした拍子に見かけたりして、はっとさせられることも多いですよね。なかには、クスッと笑えるような洒落の効いた文言が書かれていることもあります。このようなお寺の掲示板について投稿したツイートが話題となっています。

ツイートしたのは、福岡県北九州市にある浄土真宗本願寺派の「永明寺」で住職をされている松崎智海(非売品僧侶)さん(@matsuzakichikai)。掲示された文言がコチラです。

「そうさ100%  他力 もう 念仏しか ないさ」

「他力」、「念仏」などいかにも仏教らしい用語が出てきているものの、この文面、どこかで見覚えが…。

また、ツイート文には「がっかりして めそめそしても つらいときはいつだって 阿弥陀様がそばにいてくれます」と書かれています。

「そうさ 100%…」、「がっかりして めそめそして」、「つらいときはいつだって」どこかで聞いたことが…。

そう、これはかのヒット曲、『勇気100%』を引用したもの。

『勇気100%』は、人気アニメ「忍たま乱太郎」の主題歌として光GENJIが歌い、その後もさまざまなアーティストによって歌われている名曲です。

作詞家・松井五郎さんの綴る歌詞も素晴らしく、「そうさ100%勇気 もうがんばるしかないさ」と励ます内容に、多くの人が勇気をもらったことでしょう。

そんな『勇気100%』の詞を仏教の教えに絡めるという松崎さんの着眼点。反響がないわけがありません。

「100%勇気出てきた」
「念仏唱えたこともないのに、歌ってしまった」
「歌が聞こえるなぜかしら?」
「私も浄土真宗の家で育ちました」
「『どんな人間でも救うぞッ』という阿弥陀様の決意を感じます」

など、浄土真宗に縁のある人・ない人にかかわらず、多くの方々からのコメントが寄せられ、なかには楽曲1コーラス分の歌詞を書く方もいるなど、リプ欄は大いに賑わいました。

このように、楽曲との語呂の良さや面白さも含めて話題となった今回のツイートですが、掲示の内容は仏教の教えに則した真面目なもの。

主題となっている「他力本願」という言葉は、一般的には「他人任せ」「他者依存」というような良くないイメージで使われがちですが、本来は仏教用語として重要な言葉です。

松崎さんはツイートにて、「念仏の道を歩む者は100%他力なのです」とこの他力本願という言葉についての見解を示しています。

また、松崎さんはほかにもお寺の掲示をツイートにて紹介しています。時事ネタや面白ネタを取り入れた分かりやすい内容に、多くの方が共感しています。

ちなみに、昨年は「JK用語を使った法語」について、当サイトで取り上げました。https://maidonanews.jp/article/13612783

そんな松崎さんに、お話をうかがいました。

――プロフィールを拝見すると、松崎さんは元々教師をされていたそうですね。ご住職になられたきっかけは?

松崎さん:祖父の死をきっかけに実家に戻り後を継ぐことにしました。

――現在はお寺のご住職として、ツイートやお寺の掲示など、面白くはっとさせられるような発信をされていますね。このような発信をされている理由は?

松崎さん:仏教やお寺をもっと身近に感じてもらいたいからです。

――今回のツイートで「忍たま乱太郎」の主題歌を題材に選ばれたのは?

松崎さん:とあるお坊さんの会議で「私たちは100%他力だから」という発言があり、「“100%他力”って『忍たま』みたいだなぁ」と思いました。

――なるほど、それで主題歌の歌詞を引用したというわけですね。しかし、掲示の主題となっている「他力本願」という言葉は、もともと仏教用語でありながら一般では違った意味で使われたりしています。

松崎さん:確かに、「他力本願」という言葉は多くの人から意味を誤解されています。でも、本来は「他力」とは阿弥陀如来が私たちを救う力のことであり、「本願」とは阿弥陀如来が生きとし生けるものを必ず救うという強い願いのことを指します。ですから他力本願とは「阿弥陀如来の生きとし生けるものを必ず救うという強い願いのはたらき」という意味なのです。

――仏教においては非常に重要な意味をもつ言葉なのですね。

松崎さん:私たちの信じる浄土真宗の根幹に関わることですので、世間の誤用は皆さんが思っている以上に重大なことです。これはぜひ皆様に知っておいていただきたいことです。

――本来の意味をちゃんと理解することが大切ということですね。他にも世間一般から誤解されていることはありますか?

松崎さん:「念仏」もそうです。「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と困ったときのおまじないのように思っている方もおられますが、「南無阿弥陀仏」とは「私にまかせなさい。必ず救うよ」という阿弥陀如来の願いなのです。その願いが人に届き、その人の口から出て、その人自らが聴いていくのが「念仏」なのです。もう少し言いますと、私が唱える念仏も阿弥陀如来のはたらきによって私の口から出てくるものなのです。私の力によるものではない「100%他力」なのです。

――優しい教えだと感じます。ご住職として、皆様にメッセージなどありましたらお願いします!

松崎さん:仏教は生きているもののための教えです。いかに生き、いかに死んでいくか、自分の人生の指針を示してくれるものです。どうぞお気軽にお近くのお寺に行ってみてください。仏様の素敵な導きが待っています。

――ほかに、告知などありましたら。

松崎さん:今年に入って本を2冊出版しました。優しい言葉で書かれた仏教入門書を読むための入門書『だれでもわかる はじめてのゆる仏教入門』(ナツメ社)と大人気漫画「鬼滅の刃」の仏教性を深堀りする『「鬼滅の刃」で学ぶ はじめての仏教』(PHPエディターズ・グループ)です。

  ◇  ◇

仏教の素晴らしさとは、このお寺の掲示のように楽しく気軽に触れることもできながら、その奥底には優しくあたたかい想いが広がっていることなのかもしれません。

松崎智海(非売品僧侶)さんのTwitterはこちら→https://twitter.com/matsuzakichikai

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