楽天・星野仙一球団副会長が、4日午前5時25分に膵臓(すいぞう)がんで死去していたことが6日、球団から発表された。70歳だった。一報を受けて、星野副会長の主治医だった松本クリニック・松本浩彦院長も同氏を悼んだ。
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イブの日に珍しく監督から電話。先生、頼みがあるねん、と切り出されたのはこの15年で初めて。正月は娘の所で孫たちと“タンしゃぶ”をやるから上物のタンを仕入れてくれと。一両日中になんとかしますと答えたものの、親分の頼みとあれば最優先。探し回ってその日のうちに2キロばかり自宅までお届け。瀟洒(しょうしゃ)な洋室に大きなソファも、いつものジャージー姿で床にあぐら座り、いつもの笑顔。
“タンしゃぶ”という食べ方を教えてくれたのも監督。具は牛タンの薄切りとレタスだけ。昆布ダシでさっとゆでて、おろしポン酢で食す。薬味はネギと一味。七味を出したらバカ野郎ッ。皆でスキヤキ囲もうものなら、席から立ち上がり最後まで菜箸を放さないお奉行さま。食い道楽のくせにパクチーと春菊とトマトが苦手で。
1年半前、急性膵炎(すいえん)を患った時は朝夕2回の点滴と重湯だけの生活を3カ月。お酒は一滴ものまれないので、エエ物ばっかり食べ過ぎたんでしょうと軽口をたたくと、バカ野郎ッ。しょせん一介の神戸の主治医。東京・名古屋・大阪と、日本中で名だたる国手を主治医に持つだけに、膵炎の陰にがんが潜んでいようなど、私には思いもよらず。今にして明かせば、腹膜炎に低血糖発作に高血圧脳症。2度か3度はお命を救った自負はあるものの、がんの事だけは一言も知らせてもらえませんでした。毎日点滴に通って来られたあの時、すでに自分一人で抱えていくと心に決めていたのでしょう。
オリンピックで北京までお供して、思い出すのは共にした三度の食事のことばかり。台湾では選手にうまい日本食を食べさせようと、宿舎隣のレストランを4日間貸し切り、日本から料理人まで呼び寄せるほど食を大切にする人でした。「今度は家族でタンしゃぶを食べに来い」と、あの言葉からまさか10日で帰らぬ人に。生まれて初めて、こんな「書きたくない文章」まで書かせて、水くさいにもほどがあります、監督。合掌。