幸せは手のひらに乗る分だけとよく言います。これは猫との暮らしもそうではないでしょうか。自分の手に負えるだけの猫としか一緒に暮らしてはいけない。人間の暮らしを圧迫していたり猫を満足にお世話できずにいたりするなら、それは飼育崩壊といえるのではないでしょうか。
石川県に住むごんべくんは、多頭飼育崩壊の家で誕生しました。家に何匹猫がいるのか分かりません。こんな状況ですから、キチンとしたお世話なんてしてもらえるはずもなく……。
ごんべくんが現在一緒に暮らしているYさんの家に届けられた時、手のひらサイズでした。こんなに小さいのに、お尻にはうんこがべったりついた状態。今は白い毛の部分が黄色かったのは、きっと尿の色です。Yさんはショックを受けました。なぜこんな状態の子猫がいるのか、理解が追いつきません。
ごんべくんを譲った元飼い主は、他にも猫はいると言います。Yさんがふと車の後部座席に目をやると、まだ目も開いていない子猫がいるではありませんか。こんな子を親から引き離して、成長に良い影響を与えるわけがない。
「自分で世話ができないなら産ますな!」
思わず怒鳴ってしまいました。その声に驚いた元の飼い主は、慌てて車を出しました。残されたのは、先述した通り酷い姿のごんべくんです。
生後およそ1カ月ほどで、目にはまだキトンブルーが残っています。冬の北陸だったこともありますが、ごんべくんはガタガタと震えが止まりません。Yさんはその足で動物病院へ急ぎました。
獣医師の見立てでは、衰弱状態。これが本当に飼い猫から生まれた子とは思えないと。たっぷり栄養を与えるようにと指示されます。
この時にカルテを作りました。獣看護師に「この子の名前は?」と尋ねられ、Yさんは「まだないんです。名無しのゴンベ」と応えると、それがカルテに。震える子猫に名前がついた瞬間でした。
家に戻ると、Yさんの老母がごんべくんを待っていました。少し前に愛犬を亡くしたばかりで寂しい気持ちになっていたお婆ちゃん。ごんべくんは衰弱状態で栄養が必要だと聞いた途端、スイッチが入りました。
実はお婆ちゃん、脳梗塞の後遺症で半身不随。それがごんべくんのお世話をするために、リハビリを頑張るようになったのです。たくさんご飯を食べさせてあげないといけない、トイレもキレイにしてあげなくちゃならない。杖や手すりを使って、ごんべくんのお世話をせっせと焼きます。
初めて会った時震えていたため、毛糸でセーターも編みました。これはちょっと、ごんべくんに不評。けれど着てもらえなくても、編んでいる間が幸せなひと時です。リハビリにもなります。
お婆ちゃんがデイケアに通えるほど元気になったため、介護のため仕事を辞めていたYさんも改めて就職しました。ごんべくんが来てくれたおかげで、家族の歯車がまた回り始めたのです。この様子に虹の橋のたもとに行った愛犬も、安心したでしょうね。
このままずっと家族全員幸せに笑顔で過ごせると思っていました。しかし、お婆ちゃんは病魔から逃れられませんでした。昨年3月、ごんべくんが2歳の時にお婆ちゃんは天国に旅立ちます。
残されたごんべくんは、お婆ちゃんのベッドの上をうろうろ。何かを見つけたのか、天井の一点を見つめ、大きな声で鳴きました。
「お婆ちゃん!」
でも、その声に返事をしてくれていたお婆ちゃんはもういません。
酷い環境で生まれた自分を慈しんでくれた人との別れ。何度も何度も鳴きました。その声は、お婆ちゃんがいなくなった部屋に虚しく響くだけでした。
現在、ごんべくんはYさんと二人暮らし。Yさんはごんべくんに「君がいるから、がんばれる」と日々伝えます。ごんべくんはお婆ちゃんを少しでも楽させようと覚えたご飯ケースを運ぶ芸を、今はYさんに見せてくれます。最初は手のひらサイズだったのに、気付けば獣医師から「小太り」と言われるほど。
手のひらに乗るだけの幸せ。
Yさんはごんべくんを引き取る際、酷い飼い主のもとから他の子も引き取ることもできました。ですが、それはしないと決断をくだしました。
目の前にいるただ1匹と向き合ったからこそ、お婆ちゃんもごんべくんも穏やかに暮らせたのでしょう。手のひらに乗るだけの幸せは、欲張ったら全てこぼれ落ちてしまうから。