遠い昔、エジプトやカルデア(バビロニア第十一王朝)では占星術師・暦学者たちが空を見上げ星々のメッセージを読み取り、人々はその託宣にのっとり生活していました。数千年の間に、人類の宇宙への知見はより科学的なものとなり、星界の神々は姿を隠したかに見えます。それでも私たちの宇宙や星に対するロマンチックなイメージや憧憬は変わりません。古代の人々と同様に黄道十二獣帯や天球といった、今では否定される「天動説」的宇宙観に基づく用語を普通に使います。さらに天動説に基づいて惑星を眺めると、惑星たちはより魅惑的な姿を見せるようになるのです。
輝く明星・金星。地球にもっとも近い惑星です
「天動説」は迷信?再評価されるべき地球中心の宇宙観の価値とは?
「天動説」と「地動説(太陽中心説)」といえば、まずは、ほとんどの人は中世のガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564~1642年)による地動説の提唱を、頑迷なカトリック教会が弾圧したとするエピソードを思い浮かべるのではないでしょうか。
けれどもこのストーリーは近代以降にできあがった作り話で、「科学的」な地動説と、「迷信的」な天動説という二元論がヨーロッパ社会で対峙して争われていたわけではありません。
ただし、古くは世界で初めての天文学書『アルマゲスト』(Almagest 紀元150年ごろ)を著したギリシャやアレクサンドリアに生きたプトレマイオス(Claudius Ptolemaeus)がまとめあげた天動説的宇宙(人間の住む大地がこの宇宙の不動の中心であるとする世界観)が人類の宇宙観の主流であったことは確かです。
これを、カトリックの聖職者であったニコラウス・コペルニクス(Nicolaus Copernicus 1473~1543年)が、当時不可解とされてきた惑星の逆行運動を、地球中心から太陽中心モデルの「コペルニクス的転換」の発想で、よりシンプルな太陽系システムを提示しました。
太陽を中心にしたモデルを用いると、地球中心のモデルよりもすっきりと説明できるのです。太陽系の成り立ちの経緯モデルからも、太陽系が太陽を中心にして運動しているとするほうがよりシンプルで蓋然性も高く、客観的にはより「正しい」と言えます。
ですが、だからといって地球を中心に据えた天動説が「間違い」「迷信」ということにはなりません。宇宙のどこかに絶対的な基準点などないのですから、宇宙の天体や物質の関係性は、相対的な運動・移動を人間がどう「解釈」するかという観念的問題に過ぎないからです。
天動説が優れているのは、実際に地上で見える天体の現象を見たままトレースしているので、観測に使用でき、実用的であることです。ですから、今も私たちは、天動説に基づく「天球」「天頂」や「黄道」などの概念を天体の動きを説明する際に普通に使っているわけです。
しかし、そうすると困ったことがおきます。私たちは「天動説は昔の迷信」と子供のころから教え込まれています。そして繰り返し太陽の周りを8つの惑星が、同心円の軌道を順番に広げながら回っている、おなじみの太陽系のイメージが強固にしみこんでいます。その太陽系図からは、天球や黄道という概念のイメージも、「惑星」=惑う星という言葉の意味も理解することは困難です。
まずはあの見慣れた太陽系の模式図や、太陽の周りを傾きながら回っている地球の図像はいったん忘れましょう。そして今、夜空の見える広い場所に自分が立っていると想像します。自分をとりまいて半球をなして広がる夜空が「天球」です。この天球の星々は、同じ模様を描いたまま固定され、北極星を中心にしてぐるぐると全体で動いています。たとえばオリオン座や北斗七星などの星座は、同じかたちを保ったまま移動していますよね。実際には一枚の壁紙に張り付いているわけではなく、距離はさまざまな星の集合なのですが、地球からの距離があまりに遠いため、数千年・数万年の単位ではほとんど変化がなく、固定した壁紙の模様のように見えているのです。
地動説(太陽中心太陽系)の模式図は見慣れたものですが万能ではありません
空翔る幻の惑星「水星」はユリの花を開かせる?
この壁紙である天球の星々とはまったく異なり、独自の動きをする天体があります。月と太陽、そして「惑星」と呼ばれる太陽系に存在する星たちです。これらの天体は、地球から近い位置にあるため、壁紙の一部としてではなく時間ごと、日ごとに単独で空を運行します。だから惑星は他の星とは異なる特別な存在として崇拝され、惑星には神々の名が付与され、日月とともに七日間の曜日を司るとされ、その名を冠されました(現在の英語圏の曜日名は、アングロ・サクソンの源流であるゲルマン神話の神に置き換わっていますが、ラテン民族系のスペイン語やフランス語などでは、五惑星の神々=水星=マーキュリー/金星=ヴィーナス/火星=マース/木星=ジュピター/土星=サターンと同一です)。
地球より太陽に近い位置に軌道を描く水星と金星を「内惑星」、地球より太陽から遠い軌道の火星、木星、土星、天王星、海王星を「外惑星」と呼びます。
外惑星については次回にゆずり、まずは二つの内惑星について取り上げましょう。
水星は、太陽のもっとも近くに軌道を描く太陽系第一惑星です。同時に、太陽系の地球以外の7つの惑星の中で最小です。太陽の近くにあるということは、ほぼ空では光り輝く太陽の近くに位置していることを意味し、はるか遠い外縁惑星であまりに暗いために肉眼では見ることのできない海王星をのぞけば、もっとも見えづらい惑星になります。ほとんどの場合太陽にかき消されている水星ですが、水星と地球の公転軌道は七度のずれがあるため、よく晴れた夜明けや日暮れ時で、かつ太陽からの離角が最大となっているときにのみ地上から肉眼で観察できます。
水星の公転周期は約88日で、軌道からの太陽の離心率(中心から離れた数値)がもっとも大きく、かつ不安定な楕円軌道を描いています。地球との会合周期は115.9日で、この間に水星は地球から見て∞型のレムニスケート運動を見せます。
つまり、水星は一年弱の間(約348日)に三回この軌跡をたどり、宇宙にハートのような三枚の葉を描くことになります。この水星の動きは、エソテリック(秘教的)に言えば植物体の構造が3の倍数で形成されているユリ科などの植物の生成に関与すると言われています。科学的に根拠があるわけではありませんが、かつて人々は宇宙の星々と地球の生命とにこのような紐帯を見出していたのです。
また、地球より太陽に近い水星は、内合(地球と太陽を結ぶ直線上を通過し、一直線に並列すること)のときに、その軌道と太陽の軌道が重なったときには、太陽面を通過する芥子粒のように姿を見ることができます。その姿を世界で初めて観測し記録したのがヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler 1571~1630年)で、1607年5月28日のことだったと伝わります。水星の太陽面通過は百年に十数回観測されますが、それが起きるのは水星が内合する5月と11月の間の5月10日前後、11月10日前後のみです。直近の事例は2019年11月11日で、ニュースにもなったのでご記憶の方があるでしょう。次の太陽面通過は2032年です。
三日月のすぐ右にある小さな輝きが水星です
美の女神の星「金星」は宇宙に巨大な五弁花を描く
金星は地球からもっとも近い惑星で、他の惑星と比べても一際美しく輝き、古来美の女神ヴィーナスに比況されてきました。
太陽と月をのぞけば、地上の物体に影を落とすほどに光り輝く唯一の単独天体です。公転周期は224.7日ですが、自転は地球時間で243日もかかり、しかも自転軸が177度、ほとんど倒立した状態で、自転方向が地球などの他の惑星と逆まわりになっています。そのためなのかどうか、あるいは薄明やかわたれ時に輝く様子からか、日本では日本書紀に、まつろわぬ星神「天津甕星(あまつみかほし)」として登場しますし、古代ギリシャでは明け方に見える金星をフォスフォロス(phosphorus)、すなわちラテン語でルシファー(Lucifer)=光をもたらす者と呼ばれます。その名は悪魔・堕天使の代名詞で、それだけ見る者をとりこにする特別な星であるということなのでしょう。
金星の地球との会合周期(合または衝から出発して同じ地点に戻るまで)は583.9日で、これを金星の一年とします。金星もまた水星と同様地球から見て蝶型(レムニスケート)の軌道を描き、公転する間に太陽を挟んで反対側面で地球と外合し、太陽と地球の間に挟まれて内側で内合します。
太陽と地球の会合周期は365.24日(地球の一年)なので、地球の8年間に、金星は5回地球と会合します。太陽が黄道のリングのふたご座にあるときに金星は外合し、次に山羊座で外合、続いてしし座、おひつじ座、さそり座を経て、約2日ほどのずれを見せてふたたびふたご座で合となります。この軌道を線で結ぶと、十二獣帯のリングの中に、正五角形の対角線を結ぶペンタグラム(五芒星形)ができあがります。
天球に刻まれるこの美しい幾何学形をレオナルド・ダ・ヴィンチは「黄金分割」と呼び、自然と芸術に共通するもっとも美しい調和であるとしました。水星のユリに対し、薔薇などの五弁花の植物の形態は、この金星の運動が地上に作用してもたらされるものとされます。天動説に基づく金星の軌道を線でたどって結ぶと、金星の軌跡の中心には美しい五弁花が描かれるのです。
金星の太陽面通過。内惑星である水星と金星のみに見られる天体イベントです
今年5月は、月末の26日ごろまで水星が太陽との距離が離れる最大離角の期間となり、日の入り30分後、夕方の西北西の空に水星が高度10度ほどの位置にとどまるため、観測の希少なチャンスです。特に5月17日前後は、水星の高度が15度とかなり高い位置に来ます。
また金星もこのとき細い三日月状態から輝度を上げていきながら、水星に向かって徐々に高度を上げていき、5月29日の日の入りの30分後、金星と水星がすれちがうようにして大接近するのを目撃できます。天体マニアならずとも、見逃す選択はありませんよ。
(参考・参照)
星空への旅 エリザベート・ムルデル みくに出版
国立天文台 水星が東方最大離角(2021年5月)
「天球」に「固定」された星々を背景に単独で「惑う星」だから「惑星」です