愛媛県の最南端に位置する愛南町久良漁港。ブリの養殖など豊かな漁場として知られますが、それが猫たちの間でも評判だったのでしょうか。『猫村』と呼ばれる場所があり、昨年11月頃には漁港の倉庫周辺に約10匹の野良猫が住みついていたそうです。ほとんどが成猫でしたが中には子猫もいて、ひと際小さかったのが「うみちゃん」。名付け親は漁港でアルバイトをしていた大学院生の河田直樹さんです。
「猫村では地元の方々が猫の世話をされていました。うみは生後1カ月半にもなっていなかったようです。かなり痩せていましたね。他の猫に比べて人懐っこく、後ろをよちよちついて歩くような子だったので可愛がられていましたが、車やリフトに轢かれてしまうことをみんな心配していました」(河田さん)
うみちゃんのことが気掛かりで、毎日のように猫村に通ったという河田さん。2週間がたち、近くの住人に引き取られた子もいましたが、うみちゃんは残ったまま。冬が近づき寒くなってきたことから、河田さんは下宿先のアパートへ連れて帰ることにしました。
「本当はペット禁止だったんです。だから昼間の鳴き声にはひやひやしました。隣の部屋の人に気づかれないか…。少しでも離れると鳴いてしまうので、家にいるときはずっとそばにいましたね。腕や胸、肩などに寄り添っていないと落ち着かなかったみたいです。夜鳴きがなかったのが救いでした。ベッドに入るとすぐ布団に潜り込んできて、腕を抱き抱えるようにして静かに寝てくれましたから」(河田さん)
うみちゃんと一緒に寝ている間に首を寝違えた…というのは、のちに河田さんのお母さんが教えてくれた話です。
河田さんは実家で犬を飼っていましたが、猫の飼育経験はなし。引き取る前にインターネットで勉強し、必要な物を買いそろえたと言います。保護の翌日には病院へも連れて行き、「痩せていること以外、問題なし」のお墨付きももらいました。これでひと安心…ですが、ペット禁止のアパートに置いてあげられるのは1週間が限度です。しかも河田さんは修士論文の作成で多忙な時期。そこで兵庫・西宮市に住む両親に事情を説明し、実家で預かってもらうことにしました。
瀬戸内海を渡り、引っ越しをしたうみちゃん。実家には柴犬のライフちゃんがいて相性が心配されましたが、警戒心のないうみちゃんはライフちゃんに自分から寄っていき、ちょっかいを出していたそうです。
河田家では飼えないため里親探しをしたところ、すぐに手を挙げてくれる人が現れました。姫路市に住むご家族で、先住猫が2匹。「ももちゃん」という新しい名前をもらったうみちゃんは、先輩たちの後をついて歩き、マネをしていたずらを覚えては飼い主さんを困らせているそうです。
「先住猫たちがうみちゃんのことをとても可愛がってくれているようです。猫村にいた頃から周りの成猫に可愛がられていたので、その子たちと別れてからは寂しかったんじゃないかと…。キャリーバッグに入れて連れ帰るとき、普段は付いてこない猫たちが、まるでお見送りをするように数百メートルついてきたんです。『仲間を連れて行かないで』と言っているように見えてとても悲しい気持ちになりました。でも、新しい家族のもとで幸せに暮らしていると聞いて、間違っていなかったんだと今は思っています」(河田さん)
野良猫を保護するのは河田さんにとって初めての経験でしたが、「命の大切さ、不平等性を感じた」と言います。
「保健所やその他の里親募集施設で多くの犬や猫が日々、新しい家族との出会いを待っている一方で、ペットショップでは営利目的で犬猫が販売されていることに、以前から大きな疑問を感じていました。今回、そのことを改めて実感し、今後も救える命があれば迷わず手を差し伸べたいと考えています」(河田さん)
この春から社会人になった河田さん。学生生活の最後に、得難い経験をしたようです。