ライダー俳優・中村優一の空白の4年間 配管工事バイトで「人の勉強」をしていた

石井 隼人 石井 隼人

『仮面ライダー響鬼』『仮面ライダー電王』で知られる俳優の中村優一(33)には、休業&芸能界引退という約4年間の空白がある。その期間を中村は「人の勉強」に充てたのだという。復帰から早くも6年が経ち、5月7日には出演作『大綱引の恋』の公開が控える。引退時の葛藤と復帰への思いを、改めて中村に聞いた。

2004年に『第1回D-BOYSオーディション』でグランプリを受賞し、日本テレビ系「ごくせん 第2シリーズ」(2005年)で俳優デビュー。同年に『仮面ライダー響鬼』に出演するなど、若手俳優として理想的な滑り出しだった。しかし2010年に療養のために芸能活動を休業した。

中学生の頃から芸能界に身を置き、トントン拍子に活躍の場が与えられていた。「売れたい」「スターになりたい」。そんな漠然としたモチベーションが長続きするはずもなく、経験を重ねるうちに自分自身に対する疑問が蓄積していったそうだ。

「事務所の尽力もあって、当時は運良く仕事もありました。でも僕自身はいわゆる“社会経験”を知らず、無知のまま。それゆえに人の気持ちすらわからなかった。映画やドラマで役柄を与えられても、それをどうやって共感して演じるのかと…。自分と同年代は就職するのか進学するのか、自分で自分の人生の進路を決めている。そんな周囲を見た時に、自分はそのようなターニングポイントを経験することもなかったと思って。空っぽゆえの苦しみがありました」と当時の心境を俯瞰する。

悩みに悩んで辿り着いた「人についての勉強をしたい」という結論。しばらくはアルバイトで生計を立てていたという。「芸能界とはまったく関係のない、配管工事などのアルバイトをしていました。今でも多少工具の使い方を覚えているので、もしそのような役柄のオファーがあれば、かなりリアルにできるはず」とジョーク交じりだが、引退直後は「自分など運だけでやってこれたような人間」と卑下するネガティブな感情が胸に渦巻いていたという。

はたから見れば、お膳立ての恵まれた環境から飛び出しただけ、と受け取られるかもしれない。しかし当時の中村にとっては、冷却期間として必要な時間であり経験だった。「アルバイトをしていた時に初めて、自分で考え、自分で決定するという人間として当たり前の思考を得ることが出来ました。それまで人の気持ちや自分の人生についてなど、一度も考えたことがなかった。それは俳優という仕事についてもそうでした」とぬるま湯に甘んじた若気の至りを恥じる。

離れたからこそ、見えるものもある。「お芝居の勉強もしたことがないわけですから、基礎すらもなっていなかった。そんな昔の自分に対して不完全燃焼という意識が湧き出てきました。縁あって今の事務所の方々が復帰するにあたり手を差し伸べてくれて今に至りますが、もう一度自分の限界までやってみようと、自分の意志で決めることができたんです」。俳優としての仕事の予定も未定の状態ではあったが、中村は2014年にカムバックを自分で決めた。

「スターになりたい」「売れたい」という自分本位の漠然としたモチベーションから一転、今の中村の原動力は「恩返しがしたい」という人に対する気持ちへと進化。佐々部清監督の遺作となった出演作『大綱引の恋』にもそれはある。「鹿児島県薩摩川内市の皆さんの協力を経て完成した作品であり、出演者として携わっている僕らは地元の皆さんの想いを一人でも多くの観客に届けなければなりません。作品を観ていただいた方に『薩摩川内に行きたい!』と思っていただいて初めて還元できる。僕自身も再訪したいという気持ちがあります」と作り手としての自負を口にする。

復帰から6年。俳優としてもっと頭角を現していきたいと思うが「変わらなければいけないところは沢山ありますが、今は復帰前に比べてちゃんと“人として生きている”という実感があります」と充実を感じさせる笑みをこぼす。キャラクターを演じる際には、それに扮する俳優の人間性がおのずと映し出される。『大綱引の恋』の中村を見ると「人の勉強」に充てた時間は無駄ではなかったとわかる。

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