挫折を救った言葉とブレイクを支えた人
だが成功体験はそう長くは続かない。大阪芸術大学に進学するも、学生演劇ブームの到来もあり、周囲は猛者ばかり。圧倒され、20歳頃に俳優の道を諦めかけた。その挫折を救ったのが大学の先輩であり、劇団新感線のスター俳優だった渡辺いっけいだった。「自信がないから諦めようと思っていると学食で言ったら、“お前はまだ大丈夫だよ”と。彼は当時の大学の大スターですから、そんな人に“大丈夫”と言われたら信憑性がありますよね!? それがなかったら、そのまま退学していたと思います」。
そしてもう一人、ずっと目をかけてくれた人がいた。『ガキ帝国』から付き合いが始まった、島田紳助さんだ。「上京したのは25歳ですが、東京には彼しか頼る人がいませんから、喰えない時代はよく自宅でゴハンを食べさせてもらっていました。彼の家に行くと、俳優、お笑い、ボクサー、レーサーなどのいろんな僕と同じ立場の駆け出しの人達がいて、そこで人脈も広がる。紳助兄さんも弟子から芸能界に入った方ですから、とにかく面倒見がいい。売れるための彼なりの哲学や秘訣を教えてくれるわけです。“ピッチャーよりもライトを目指せ”とか“ライバルを分析しろ”とか、その教えを僕は吸収していった」。
名バイプレイヤーとして鳴らし、今では“50代にしてブレイク!”などと評される。4月2日からは主演映画『裸の天使 赤い部屋』が公開される。「僕の半生を振り返ったときに、誰か一人でも欠けていたら厳しかったと思う。すごい人たちに連続して出会えたのは、恵まれていたと思います」と出会いに感謝する。
いい出会いを呼び込む秘訣については「フットワーク軽く動くこと。僕の場合は映画俳優として生きることが目的でしたから、若い頃は映画関係者がいそうな酒場に顔を出して、飲み会のトリプルブッキングも当たり前。その場を盛り上げて印象を残して顔を売る。そしてもらった仕事では爪痕を残す。すると“なかなかできる奴なんだ”とイメージが変わる。…まあ、これも島田紳助スタイルの受け売りなんですけどね」。
心の師の教えは何物にも代えがたいもの。最近も島田さんに会ったそうだが「僕の今の状況をとても喜んでくれている」と活躍を見守ってくれているという。ブレイクという名の恩返しは始まったばかりだ。