小学生時代に所属していた大阪の少年野球チームで、活動の一環として団地の古新聞・古雑誌回収をさせられたことを、大人になってからも時々ふと思い出す。そういえば、遠方の公園で試合後に「帰り道は自力で探して帰って来い」とチーム全員いきなり放り出されたことも。指導者はやたらエネルギッシュな中年の女性で、よくよく考えるとずいぶん型破りなチームだった。
時は流れてあれから30年。ひょんなことからそのチーム「山田西リトルウルフ」の名物指導者・棚原安子さん(通称おばちゃん)が、80歳になった今もバリバリの現役で活躍しており、最近は本まで出してテレビや新聞で盛んに取り上げられていることを知った。30年ぶりに写真や映像を通して再会したおばちゃんは、80歳という年齢が信じられないほどパワフルで、驚いたことに、ノックのキレも、大きな声も、あの頃と何ひとつ変わっていなかった。
名物指導者、その名も「おばちゃん」とは⁉︎
おばちゃんは1940年、大阪府生まれ。ソフトボール選手として実業団でプレーした後、1972年に吹田市で夫の長一さん(現会長)と山田西リトルウルフを立ち上げる。以来「おばちゃん」としてチームを率い、傘寿を迎えた今も小学生を相手に自らノックをこなす。メンバーは最盛期で約200人、現在も約140人を数え、OBにはオリックス・バファローズのT-岡田がいる(ということを、30年経って初めて知りました)。
筆者がウルフに所属していたのは小学5年の終わりまでのほんの2年ほど。6年生になる前の春休みに腹膜炎で入院し、そのまま神戸に転居してしまったため、栄光の“ウルフ歴”はそこで唐突に途絶えている。おばちゃんはもとより、その後連絡を取り合っているチームメイトは残念ながら1人もいない。
30年ぶりの再会
そして2020年12月。ウルフの公式サイト経由で内心ドキドキしながら「本の話を聞かせてほしい」とアポを入れ、万博記念公園から3kmほどのところにある団地の一室で、おばちゃんと対面した。
さすがに顔を見ただけで「おお、あんた懐かしいな!」とはならなかったので、「実は僕ウルフのOBでして…」とこちらから切り出す。するとおばちゃんは「ええっ!何年生まれ?」と机の上に分厚い手帳をどんと置き、猛烈な勢いでめくり始めた。2人で探すこと数分。……あった!20期生の欄に、(辞めたので線が引かれているが)私の名前と当時の住所、電話番号が確かに残されている。「1期生から全部消してないからな」とおばちゃん。私のことを思い出した様子はない(なんせ、OB、OGは1200人もいる)が、チームに自分の痕跡が刻まれていたことに不覚にもグッときてしまった。
ウルフイズム「自分のことは自分でやれ!」
ウルフの指導方針は、とにかく「自分のことは自分でやる」に尽きる。ユニホームは自分で洗うよう最初に叩き込まれるし、子供のスポーツチームでありがちな保護者の「お茶当番」もない。現在の会費は月1000円。冒頭に書いた新聞回収は、活動費の足しにするための歴とした“アルバイト”なのである。
子供たちは金曜の夜、自分でおばちゃんに電話をかけて土日の活動場所や時間を確認しなければならない。「社会に出たときに、電話のかけ方も知らんようでは困るやろ。だから子供のうちからちゃんと練習させんねん」とおばちゃんは言う。ひっきりなしに電話がかかってくるため、金曜はトイレや風呂の間も携帯を手放せないそうだ。
またウルフには、小学4年になる前の春休みに、1人で電車に乗って大阪駅(チームのある吹田市近辺の駅からはJRで10〜15分程度)まで行って帰ってくるという伝統もある。切符の買い方から路線図の見方まで、親を頼らず全て自分で調べて実行する“通過儀礼”のような行事で、「1人で行動する勇気を持てるようになった」と懐かしく振り返るOB、OGは多い。
「女やから」と馬鹿にされたことも
そんな少年野球チームは他にはなく、そもそも約半世紀にもわたって女性が野球を教えているということ自体が前代未聞。「大阪府の大会に初めて出場したときは、気にかけてくれる人もおったけど、女やからと馬鹿にされ、舐められまくりでしたわ」とおばちゃんは振り返る。
そんなウルフなので、関係者の間ではもちろん以前から有名だったが、2020年5月におばちゃんが少年野球の指導や4男1女の子育てを通じて育んだノウハウを詰め込んだ本「親がやったら、あかん! 80歳“おばちゃん”の野球チームに学ぶ、奇跡の子育て」(集英社)を上梓したことで、そのユニークな存在がますます多くの人に知られることとなった。
「私が言ってきたことやウルフで取り組んできたことは、基本的には何も変わっていません。でも、子供の世界や親の価値観、気質はこの50年で大きく変わりました。だからこそ、私の“当たり前”が今の子育て世代には新鮮に響くのかもしれませんね」
「ただ、子供自身はいつの時代も変わらないと私は思っています。ウルフは人格の土台を形成する一番大事な時期に子供を預かるわけやから、絶対に手を抜いたらあかん。子供はすごいですよ。経験ゼロで入ってきても、教えたらちゃんと投げたり打ったりできるようになるわけですから。宝石よりも輝く、可能性とエネルギーの塊や」
おばちゃんは「足腰が痛い」という経験をしたことがない
歯切れの良い大阪弁で、昔と変わらずポンポン話すおばちゃんのエネルギーにこそ、筆者は終始圧倒されていた。この人は化け物か…。共にウルフを立ち上げた長一さんは大病を患い、おばちゃんが自宅で介護中。現在、チームの総監督は三男の徹さんが務めているが、おばちゃんも朝から晩までグラウンドに立っているという。
「座るのはお昼を食べるときくらい。疲れること? ありません。それに私、『足腰が痛い』という経験をしたことがない人間なんで。この50年、子供らとずっと動いとるからかな。ウルフを始めたときはこんなに長いこと続くなんて思ってなかったけど、しんどくてやめたいと思ったことは1回もないですよ」
思いがけぬ形で再会を果たしたかつての教え子に、おばちゃんは別れ際、「不思議な縁やなあ」と感慨深げにつぶやきながら、みかんと餅を持たせてくれた。後日、徹さんからおばちゃんがノックをしている写真が送られてきた。そこには筆者がノックを受けていた頃と変わらないフォームのおばちゃんがいて、やっぱりちょっと笑ってしまった。
「親がやったら、あかん! 80歳“おばちゃん”の野球チームに学ぶ、奇跡の子育て」は集英社から税別1400円で発売中。