おくるみに包まれた赤ちゃんを抱く青いベールの母猫。猫だけど「聖母子像」だなあ…と思って一歩引いて見たら…床に盛大にお絵かきをし、物干しにぶら下がって遊ぶ子ども、そして洗濯したのに汚されたシーツ!!あんなに慈愛に満ちて見えた目が、引いた途端にワンオペ家事育児に疲れ果て、虚空を彷徨って見える…。でも、近寄るとやっぱり優しげで…。ああ、これ。これが子育ての「リアル」ですよね…!
驚きと笑いと、何とも言えない共感を抱いてしまうこの絵は、動物や怪人の油絵や木彫を制作している作家の市川友章さんの作品。2018年の作品で、絵本化の打診を受け、動物を擬人化した肖像画のシリーズの一つとして制作し、先頃ツイッターにアップしました。
-なぜ、ズームアウトを?
「『絵本』ということで考えたのが、覗き窓のように切り欠いたページを絵の前に重ね、一部分を肖像画のように見せて、ぺージをめくると絵の全体がわかるという仕掛け絵本でした。絵でも映像でも、フレームの外側があって、そこには見られると不都合なものがいっぱいあり、そういったものとショウアップされた部分の落差を伝えられたらすごく面白いものが出来るんじゃないかと。結果としてその企画はお蔵入りしてしまったのですが、せっかくなのでその時に考えたラフを油絵で描いてみたというわけです」
-にしても、「聖母子像」が「家事に疲れた主婦」になるとは…
「母と子の絆ってすごく深いなと思っているのですけど、その裏にはそれ相応の育児をしている母親の姿があり、実際にそういった場面を目の当たりにしたことで自分の中に実感としてあったからでしょうか。それを傍観者として見ているだけの自分に、罪悪感のようなものもがあって、その罪滅ぼし的な意味で作品化したのかもしれません」
-罪滅ぼし??
「私には娘がいるのですが、娘が産まれた当時、私は海外での個展の準備で制作活動に集中していて、自分のキャリアのために時間を使うことが多くて…。妻には育児に関して、かなり負担をかけていたと思います。そのキャリアも色々あって、10年ほど前に手放してしまったのですが…」
-アップの時は慈愛に満ちた目に見えるのに、引いたら疲れた顔に見えるのも驚きです。
「この絵はギャグ的な要素が強いと思うのですけど、ちゃんと絵画としての鑑賞にも耐えられるよう、色調や細部の描き込みには気を使いました。不思議なもので、表情の読み取り方って状況によって変わってしまうんです。笑顔でも、幸せそうな場面なら『喜』として、不幸な場面では『哀』として捉えることもできます。表情と状況を矛盾なく捉えるために、人はそう錯覚するのかもしれませんね。なので表情を描くのに苦労したというより、どうとでも捉えられる表情と、それに合わせられる両極端な状況を想像するのに腐心しました」
-なるほど…。でも、なぜ猫だったんですか?
「大学で油絵を専攻していた時、大昔の西洋の肖像画家に憧れて、自分もそうなりたいと思っていたのですが、実際には時代も違ければ人種も違うので、現代の日本でそれは叶いません。そうなると今まで僕が身につけてきた油絵の技術ってなんなんだろう…と。王様も貴族もいない。歴史も違う。だったらもう自分のペット(フェレットとフレンチブルドッグ)をギンギラに飾り立てて描いてやろうと、半ばヤケクソな気持ちで皮肉を込めて描き始めました。そのうち色々な動物を描くようになり、興味のあるものは手当たり次第という感じなので、猫もなんとなく描きたかったからという感じです。でもその絵を描いた数ヶ月後に妻が全く同じような白い猫を飼いだしたので、不思議なものを感じますね」
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作品について、「絵の場面や登場人物は頭の中で想像して描かなければいけなくて、その辺りはやはり技術が必要で、毎回もっと上手く描けないかと自問自答しています」という市川さん。多彩な作品を発表していますが「何年かに一度、自分の中でインパクトの大きい出来事や事件が起き、それに対して自分の中で作品化し、シリーズとして描き続けているという感じ」といい、娘さんが生まれたときに誕生日プレゼントで木彫を作ったのをきっかけに木彫作品を作るようになり、3.11の東日本大震災の時にその昔見た特撮映画に自分が引き込まれてしまった感じがして、怪人などをモチーフに作品を作るようになったそうです。
「きっと私はそうやってなんとなく流れに身を任せながら、その時々に自分の身の回りで起こったことをきっかけに作品を作っていくのだと思います」と市川さん。「でもそれが単なる個人的な出来事として止まるのではなく、なるべく多くの人のもとに届いて、何かしら感じてもらえればいいなと思っています」と話してくれました。
それにしても、表情も、実は見る側の捉え方次第で随分違うとは…目からウロコ。近寄ったり引いたり、時には自分の目を疑って見直すことも、大切なのかもしれませんね。