東京見物に出掛け集団感染… 犠牲者悼む4メートルの「丹後大仏」、コロナ禍でふたたび注目

京都新聞社 京都新聞社
丹後大仏の周りで掃除に励む参加者ら(伊根町本坂)
丹後大仏の周りで掃除に励む参加者ら(伊根町本坂)

 新型コロナウイルスの感染拡大で、約100年前に世界的に大流行したインフルエンザ「スペイン風邪」への関心が高まっています。京都府北部、日本海に面した伊根町の本坂という集落にはスペイン風邪に集団感染して亡くなった人を悼む「丹後大仏」があります。5月下旬には新型コロナウイルスの収束を願い、地元の住民たちが清掃活動を行いました。

 丹後大仏は石仏です。台座を含めて4メートルほどあります。

 仏像が作られたのは1919年です。その当時、この地域には産業振興と雇用創出のための製糸工場がありました。この年、製糸工場の従業員らは慰安旅行で東京見物へと出かけます。しかし当時の日本ではスペイン風邪が流行中でした。

 帰郷した従業員には次々と感染が判明します。従業員のうち13人が亡くなりました。さらに地域でも感染が広がり、従業員を含めて計42人が亡くなったと伝わります。そうした悲運の犠牲者を慰霊しようと作られたのが、この「丹後大仏」でした。

 しかし、悲劇は続きます。当初、建立された仏像は青銅の金属製でした。第2次世界大戦の戦況が悪化していた1944年、金属不足のため大仏は供出が決まりました。「大仏だけはこらえてくれ」という地元住民の願いはかないませんでした。翌年になって、大仏は石仏として再建されました。

 一昨年までは地域住民の手で毎年4月に法要が営まれていました。今年はコロナの終息を祈るため近隣市町から訪れる人もいるといいます。

 今年5月下旬に行われた清掃には、地域住民や観光協会職員など約20人が参加しました。大仏や近くの招魂碑の周りに生えた草を草刈り機などで刈り取っていました。

 祖母が製糸工場で働いていた伊根町のガソリンスタンド経営、三野成彦さん(43)は、「100年前のことが今に伝わるのは、大仏というシンボルがあり、皆の心に残ってきたから。昔の人を偲(しの)び、早期終息を願った」と話していました。

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