最近のネットニュースの乱立ぶりが目に余るのは私だけでしょうか。酷いものは早さが勝負と言わんばかりにテレビ番組の途中で言葉をすくい取って記事にしただけのものや、タイトルと中身が全く違うもの、誤字脱字に果てはダレノガレ明美さんの一件のような“誤報”まで…。どれも情報を発信する側の責任感の問題ではないでしょうか。
私も先日、関西テレビの「胸いっぱいサミット!」の中で、このコロナ禍での大阪→東京移動をめぐる元大阪府知事の橋下徹さんとのやり取りで「私、もう橋下先生恨んでいるんですよ(笑)」なんて話した部分が切り取られネットニュースになりました。
ちなみに私が橋下さんを「先生」とお呼びするのは初めてお会いした時に橋下さんが「弁護士の先生」だったから。特定政党の信者だからではありませんので念の為(笑)。もちろん「橋下先生」のお人柄は大好きだし二人に人間関係があるからこそ面白く成立した会話です。話がそれて失礼しました。
和やかな雰囲気の中のこの「大阪流」のやり取りにもかかわらず記事の文章はまじめなトーン、文字だけ起こすと、一体どれだけ悪い雰囲気だったのかと思われがち。週刊誌の記事では執筆者の略歴や著書などが書いてありますが、ネットニュースは署名もないものが多い。一体誰が責任者なんでしょうね。
書く方は気軽に書いているのかもしれませんが、本来記事を書く人は自分の文章に責任を持つべき。例えば紙媒体や地上波の記者は会社を背負って書いているし、私ですらも吉本興業を、番組を背負って話しているつもりです。スタッフだって同じ思い。だからこそ、間違ったことはきちんと訂正するし、謝罪もする。でもネットニュースはそこが曖昧なままなのではないでしょうか。
さらに、例えば新聞なら1面か16面か、トップニュースか裾の方か…などで記事のバリューが判断できますが、ネットニュースはどれも同じ扱いなので重要度が見分けづらい。フェイクニュースも多い中、政治や社会記事以外でもファクトチェックをもっとして欲しいものです。地上波放送は総務省の認可事業ということもあり、引用する際もきちんと週刊誌やスポーツ紙名を出します。でもネットだと「ダレソレに近い関係者によると」で済んでしまう。まあこの引用はネットニュース以外でも散見されますが。
昔は「東スポのニュース」といえば、それだけで「カッパが見つかった」とか「宇宙人を捕まえた」とか荒唐無稽で楽しい“ネタ元”として受け止められ、皆を笑顔にしてくれていましたが、ネットニュースはそれを判別する事も難しい。もちろん、軽いニュースもあっていいし、表現の自由も発言の自由もあると思います。「文責」(ぶんせき)とはちょっと古めかしい言葉ですが書いた文章に責任を持つということ。SNSの誹謗中傷等も含めて文責を明らかにすることは大切だと思うのです。