新型コロナウイルスの感染拡大によりコンサートなどの公演中止が相次ぎ、表現者が発表の場を失うという事態が全世界で同時発生している。国際的に活躍するピアニスト、前衛パフォーマーの牧村英里子さんは自身を描いたドキュメンタリー映画「BEING ERIKO」で、デンマーク・コペンハーゲン国際ドキュメンタリー映画祭のコンペティション部門の1つである「ノルディックドキュメンタリー賞」を受賞した。映画祭は中止となったが、デジタル配信で賞レースは行われた。国境封鎖宣言が出される中、帰国した牧村さんは当サイトの取材に思いを吐露した。
デンマーク人のヤニック・スプリズボエル監督からオファーがあったのが2015年。17~19年に同国のほか、ドイツ、ポーランド、日本で撮影し、生まれ故郷である兵庫県明石市の人たちと共演した「コンサートパフォーマンス ときはいま」を開催した地元の様子も描かれた。予告映像ではJRの車窓から見える明石の街並み、東経135度の日本標準時子午線の上に立つ明石市立天文科学館でのインタビューも目を引く。
牧村さんは「反響はかなり大きいようです。日本上映の話も出始めています。デジタル配信は4月30日まで視聴可能となりました」と状況を説明。打ち合わせやメディア取材で2月21〜28日に現地滞在の予定だったが、「国境封鎖宣言が出されて国境を接する欧州の国々との往来もままならず、3月18日までデンマークで足止めとなり、日本への直行便が停止される直前の便でギリギリ帰国しました」と明かす。
「デンマークで国境封鎖宣言が下された直後は、ただでさえ帰国が延びに延びている状況でしたので正直気落ちしましたが、生来、ノマド(遊牧民、放浪者等の意味)な気質ですので、すぐに今後の欧州での生活をどう送ろうかと気持ちを切り替えました。映画の中で『私はワーカホリック。これって病気なのよ』と述べているシーンがあるのですが、この際、今までと全く違うテンポで生きてみようかと。結局、最後の賭けで手に入れた成田への直行便で無事帰国がかない、また元の木阿弥の仕事中毒生活に戻ったわけですが」
帰国から約1週間後に受賞の報を受け取った。牧村さんは「普段は日本人に比べて何倍も大らかにゆったりと生きている北欧魂の強じんさを感じました。彼らの祖先はやはりヴァイキングなのだと。そして私もDNAレベルでサムライなのだと。監督と出会って5年、撮影期間が2年。いろんなことがありましたが、結果的には最強のタッグだったのではないでしょうか。受賞は励みになります」という。
どのような思いで今後を模索していくのか。
「日本を含む世界中の表現の場が現時点ではネットに移行しています。未曾有の事態の中、今回の映画祭のデジタル配信も含めて最善を尽くす姿勢には頭が下がりますが、このパンデミックが収束した後の社会の在り方は未知です。私個人は、舞台で骨肉を削りながら生々しい表現をしていき、その一瞬一瞬を観客の方々と共有していきたい型の人間ですから、従来のように技術者たちと激論を交わしながらゼロから構想を練り、凝縮してそれを舞台で爆発させたいというのが純粋な願いです」
一方で「解脱」したような思いもあるようだ。
「ただ、そのような場はありがたいことにもう『二生分』ほど頂きましたし、この先、表現方法が劇的に変化しても、つまり生の舞台という場が奪われても、悲嘆にくれることはないです。舞台の人であった私が、ドキュメンタリー映画という今までと全く違う分野で視聴者の方々とコミュニケーションを取ることが可能だと分かったので、必ずや我が道を歩めると躊躇なく思えます。新しいメディア発信への挑戦を続ける海外のエージェンシーに属しているので、そこの同僚たちとはビデオ会議を繰り返しています」
大きな節目となった今回の受賞。「コロナ後の世界」でも、新たな道を模索していく。