十五夜ではない秋の名月…十日夜、関西では「亥の子」の祝い

大西 昭彦 大西 昭彦

 秋の名月のなかでは、十五夜や十三夜に比べて知名度は低いが、十日夜(とうかんや)の月も美しいとされる。別名「三の月」ともいわれ、満月に比べると六割ほど見えている状態だ。旧暦10月10日の月をさし、今年は11月6日が十日夜にあたる。

 十日夜は関東では比較的その名が知られるが、関西ではどうも知名度が低い。ただし「亥の子(いのこ)」という名であれば聞いたことがあるという関西人もいる。

京都・護王神社の亥子祭

 京都御所の西にある護王神社(京都市)は毎年11月1日、特殊神事として「亥子祭」をおこなっている。同神社によれば、「途絶えていた宮中の祭事を、昭和30年代によみがえらせた」という。

 平安時代から催されていた御玄猪という儀式を再現した神事で、神職と女房らが亥子餅つきの儀式を奉仕する。雅楽が流れるなかで提灯行列や直会(なおらえ)がおこなわれ、参拝者の目を楽しませる。亥の子餅は朝貢行列によって神社から蛤御門をとおり京都御所に献上され、境内では参拝者にふるまわれる。

 もともと中国に無病息災・子孫繁栄を祈願する「亥の子祝い」という宮廷行事があって、これが日本に伝わったとされる。旧暦10月を亥の月といい、この月の最初の亥の日におこなわれてきた。亥の子餅を食べるのも、かつてはこの日の亥の刻(夜9時から11時)とされた。

 十日夜はお月見はもちろんだが、時期的に収穫祭の意味あいが強くなっているようだ。「刈り上げ十日」という別名もあるほどで、稲刈りのあとの祝いをこの時期におこなう地域も多い。

姫路市の海岸部に伝わる「いんのこ」

 兵庫県姫路市の海岸部に位置する白浜・八家地区では、この時期に「いんのこ」と呼ばれる神輿をつくり、子どもたちがそれを担いで遊んだという。

 同地出身の60代の男性は、「子供のころ、廃材や麦わらで小さな神輿に似た屋台をつくり、それをぶつけあって遊んだ。祭りにはちがいないが、祭典行事などはなかった」と話す。いんのこは亥の子が変化したものだろう。これも収穫祭のひとつと思われる。

 稲作文化の日本では、春先に山から里の田んぼに「田の神様」がおりてくると、各地で語り継がれてきた。いわゆる農業紳の訪れである。田の神様はコメ作りのあいだ田んぼにいて、稲の成育を見守ってくれる。やがて秋になって収穫がおわると、神様はまた山に帰っていくといわれた。十日夜はその帰還の日だとされ、餅をついて供えるなどして神様に感謝をあらわしてきた。

 地域によっては、稲をたばねて「わらづと」や「わら鉄砲」をつくり、これで地面を叩きながら囃子(はやし)言葉を唱えたりする。田の神様への感謝や励ましの意味があると同時に、農作物を食い荒らすモグラを追い払うという解釈もあるようだ。

 感謝の対象は神様だけではない。「かかしあげ」といって田んぼを見守ってくれたかかしに、団子や餅、収穫物を供えて、ともにお月見をする地域もある。

 この時期から気温はぐっとさがりはじめる。十日夜や亥の子は、冬の訪れを告げる行事でもあった。

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