このような問題の是非について、兵庫教育大学でメディアを活用した国語科教育の研究を進めている羽田潤准教授に聞くと、授業中でディベートなどが行われていたことから「読むことよりも、話すことや聞くことを伸ばす意味で、国語科の授業としては成立している」とのこと。
しかし…なんでしょうこの釈然としない感じ。やはり読解問題としては破綻していませんか? しかもネットでは男女の愛の末路について聞くことに「題材的に学校で出す内容なのか疑問」「察せというにはあまりにも難しい。まともに生きてきた子どもには選択肢として出てこない」という意見もありましたよ…
「確かに『男女の心中』というテーマは、一般的な中学校の教科書にはあまり例がありませんね。授業ではやや扱いにくかったのではないかと思います。しかし、それだけ生徒たちを『刺激』したかったのかもしれません」
「国語で学ぶ文章をきっかけに、活発に意見を交わすということは、なかなか難しい状況があります。このような取り組みを通じて、国語の授業を活性化したかったのかな、という姿勢を強く感じます」
なるほど…。そしてもしかしたら、こういう議論をみんなでしていくこと、それ自体が社会全体の『国語力』のアップにつながっているのかもしれませんね…。そのあたりの真偽は秘密の学園の名探偵におまかせしましょうか…。