1987年、立浪和義(元中日)や片岡篤史(元阪神)らを擁し、桑田・清原世代でも果たせなかった甲子園春夏連覇を達成したPL学園。その3年生17人の中で唯一、甲子園のバッターボックスに立てなかった選手がいた。吉本守さん(49)。東洋大から社会人野球で33歳まで現役を続け、今は地元・神戸で「鉄板 吉本」を開く吉本さんの元には、変わらず懐かしい顔ぶれが訪れるという。
あの夏は苦い思い出だ。「僕は何もしてないんです。立浪は『3年生全員がメダルを持ってる』と言ってくれたけど、僕は春だけ。それも代走で…」と苦笑する。
小学3年で野球を始め、「KKコンビを見たい」とPL学園のセレクションに参加。持久力と根性を見込まれ合格した。既に名を馳(は)せていた立浪や野村弘樹(元横浜)、片岡ら強烈な個性と才能を持つ同級生に囲まれ、軟式出身ながら必死で練習した。
レギュラーは遠かったが、元来の明るさや人の良さでムードメーカー的存在に。ベンチにも名を連ねたが、最後の夏、中村順司監督(当時)が選んだのは2年の宮本慎也(元ヤクルト)だった。
「泣きました。でもこんなんで絶対終わられへん、って」
東洋大では桧山進次郎(元阪神)らとプレー。三菱自動車京都に入り、リコール問題の余波で廃部になった2002年、選手兼マネジャーとして後輩らの移籍を見届け、バットを置いた。
09年、母の跡を継ぐ形で開業。そこで生きたのが地獄といわれるPLの寮生活の経験だった。先輩が席に着くと同時に熱々の食事を出し、常に次の次を読む。「今もお客のグラスの音だけで体が反応して…」と笑う。
「そうして毎日ヘトヘトでも立浪はバットを振ってた。みんなキツくてけんかばかりやったけど、辛いことを一緒に乗り越えてきた。だから僕らの絆はめっちゃ深いし、特別。久々に会っても分かり合えるんです」。実直で壁を作らず、いつも人を気に掛ける。そんな人柄に魅せられ、今夜もまた一人、のれんをくぐる。