元阪神投手の田村勤さん(53)が院長を務める兵庫県西宮市の田村整骨院には近所の子どもからお年寄りまで長い付き合いの患者さんが多く訪れている。
開業から13年。院内は笑い声が響きアットホームな雰囲気に包まれている。「10年ぐらい来てる子もいます。第2のわが家みたいな感じなんですかね。学校の保健室とか部室みたいとか言われたり。駆け込み寺的な場所になれたらと思ってます」。投球用のネットにグラブ、ボールなどが完備されたトレーニングスペースでは院長直々に野球少年たちのフォームチェックをすることもある。
現役時代、ファンから親しみを込めて「たむじい」と呼ばれていた田村さんだが、マウンド上では孤高の守護神だった。プロ1年目は中継ぎ、抑えとして50試合に登板。2年目の92年は前半戦だけで24試合に登板し5勝1敗14セーブ。左サイドから打者を三振に斬る姿はファンに鮮烈な印象を残した。しかし過酷な役回りに肘は悲鳴を上げ球宴前に戦線離脱。その年チームは優勝を逃した。
翌年には復活し22セーブを挙げたが、その後も肩肘の故障に苦しめられ、1度も登板できないシーズンも過ごした。「枯れるまでやったろうと思ってたんですけど、最後は肩が回らずどうしようもなくなって…」。02年、移籍先のオリックスでマウンドに気持ちを残したまま引退した。
プロ入りまでは故障知らずだっただけに、自分の肘が壊れることなど想像もしなかったという。だからこそ、治療に訪れる子どもたちには「若い時にケアやトレーニングの重要性を知るのは、後々いいことかもしれないと言えるし、自分が故障が多かったことで伝えられることがある」との思いがある。
現役への執着から引退後の数年間はトライアウトを受ける夢をよく見ていたというが、歳月がやっと気持ちに折り合いをつけてくれた。「53歳ですから。あわよくば、なんて妄想が出ることもなくなった」と笑う。