誰もが一度は耳にしたことがある、あの「ギュイー!ギュイー!」という音。突然鳴り響き、思わず身構えてしまう緊急地震速報の音だ。
その“命を守る音”を作った人物が、環境音楽家でサウンドデザイナーの小久保隆さん(@TakashiKokubo)。電子マネー「iD」の決済音「タラントロン♪」も同氏によるもの。真逆の印象を持つ2つの音には、共通した“設計思想”があった。
取材に対し、小久保さんはその裏側を詳しく語った。
「情報ではなく行動を促す音」から始まった
緊急地震速報の音が生まれたのは2007年頃。気象庁が一般向けの運用を開始するにあたり、「瞬時に危険を伝え、誰もが直感的に反応できる音」が求められた。
当時、携帯電話各社に専用着信音の開発依頼があり、プロジェクトを主導したのは契約者数の多かったNTTドコモ。同社と長年関わりのあった小久保さんが、この重要な役割を担うことになった。
「最初に求められていたのは“情報”ではなく、“行動を促すトリガー”としての音でした。寝ていても一瞬で目覚め、かつパニックにならずに避難行動に移れること。それが絶対条件でした」
「怖すぎないギリギリ」を探る難しさ
設計で最も難しかったのは、「危険を伝える緊張感」と「過剰な恐怖を与えないこと」のバランスだったという。人は危機感がなければ動かない。一方で恐怖が強すぎると、思考停止や混乱を招く可能性がある。
「ただ怖いだけでは意味がありません。冷静な行動につながる必要がある。その“ギリギリのライン”を探る作業が最も大変でした」
実は「もっと怖い音」だった初期案
現在の音に至るまでには試行錯誤があった。初期段階では、より鋭くサイレンに近い“恐怖を直接刺激する音”も検討されていたという。
しかし検証の結果、それでは日常生活の中で強いストレスや混乱を招く恐れがあることが分かった。
「瞬間的な注意喚起力を保ちながらも、長く社会で使われる音として適切かどうか。その観点から、より整理された設計へと調整していきました」
なぜ「3回」鳴る?なぜ「約3kHz」なのか
あの音には、細かな設計意図が詰め込まれている。
まず周波数は「約3kHz(キロヘルツ)」に集中。これは人間の耳が特に敏感に反応する帯域で、騒音の中でも埋もれにくい特性がある。さらに特徴的なのが「3回鳴る」構造だ。
1回では気のせい、2回では日常的な音。しかし3回になると、人は直感的に“異常”を感じ取る。これは「ノックの回数」や、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『運命』冒頭と同様の心理構造だという。
「短すぎず長すぎない。認知と行動を促すための最適な回数として設計しました」
「嬉しい音」と「怖い音」に共通するもの
小久保さんは、電子マネーiDの決済音も手がけている。一方は安心感、もう一方は緊張感…真逆のように見えるが、本質は同じだという。
「どちらも“その瞬間に人にどう動いてほしいか”をデザインしています。決済音は安心と完了を、緊急速報は危険認知と行動開始を促す。音は感情だけでなく、行動にも直接作用します」
「音は社会をデザインするもの」
多くの人の日常に組み込まれる音。その影響の大きさについて、小久保さんは強い責任を感じている。
「公共性の高い音は無意識の中にも入り込みます。だからこそ“目立てばいい”ではなく、社会にとって本当に適切かを考え続ける必要があります」
そのうえで、こう語る。
「サウンドデザインは“聴覚のデザイン”であると同時に、“社会のデザイン”でもあると思っています」
普段は自然の中で、人を癒やす音楽を制作しているという小久保さん。緊張させる音と、リラックスさせる音。どちらも同じ「音の力」から生まれている。
あの突然鳴り響く音は、恐怖を与えるためではなく、「数秒で命を守る行動をとるため」に設計されていた。そう知ると、聞こえ方が少し変わるかもしれない。
※なお、『音でデザインする』(講談社選書メチエ)が2026年2月12日に発売。緊急地震速報の音や電子マネー「iD」の決済音など、“日常にある音”の設計思想を解説した一冊で、Amazonベストセラー1位も獲得している。小久保さんにとって初の著書となる本書は、「音が人の行動にどう影響するのか」を読み解く内容となっている。