相手にとって良かれと思っておこなった行動が、必ずしも相手にとって喜ばしいこととは限らないようです。認知の歪みが人間関係にどのように弊害を生むのかをテーマにした漫画『僕みたいなイクメンが増えればいいのに』(作:理系女ちゃん)では、どの家庭でも起こりそうな夫婦の気持ちのすれ違いが描かれています。
物語は、ある夫婦のもとに娘が誕生した場面から夫の視点で始まります。夫は「この子の成長を少しでも近くで見たい」と考え、職場で嫌な顔をされながらも育休を取得しました。
洗濯や料理などの家事もこなし、仕事復帰後も家事育児に積極的に関わるように夫は行動します。その結果、娘の成長を記録するために始めた育児ブログは、共感のコメントが寄せられるようになり、更新が習慣に。娘の可能性を広げたいと考え、さまざまな習い事も経験させます。
とくに娘が気に入ったバレエでは父母会にも積極的に参加し、チラシ作りや運営のシステム化にも関わるなど、周囲から頼られる存在になりました。ブログをきっかけに取材や講演の依頼も届くようになり、夫は「自分のブログをきっかけに男性の子育て観が変わってほしい」と思うようになりました。
一方で、妻の心境は喜ばしいものではありません。なぜなら夫の家事や育児は、実は妻の“お膳立て”によって成り立っていたからです。
冷蔵庫には離乳食の注意書きやリストを貼ったり、保育園の持ち物準備や病院の予約をしたりなどの見えない家事は妻が担当していました。夫が見栄え重視の大人向き料理を作ると、その後に使ったキッチンを片付けるのも妻の役目だったのです。
そんな夫が娘と眠る夜、睡眠時間を削って娘の持ち物に名前を書く妻は、ふと「支え合いってなんだろう」と思うのでした。
同作は『あなたの正義 わたしの絶望 ~その「主観」が毒になる時~』の一編で、レタスクラブにて連載中です。
読者からは「夫の努力は自身の承認欲求を満たすことが目的になってるから、妻の負担は軽くなってないね」や「自分1人でできている気になってる…」などの声が多くあがっています。そんな同作について作者の理系女ちゃんに話を聞きました。
日常の中にある“認識のズレ”を描きたい
ー同作を描こうと思われたきっかけを教えてください。
この作品を描こうと思ったきっかけは、「認知の歪みが人間関係にどのような弊害を生むのか」を描きたいと考えていたことにあります。その中で、家族という題材は特に扱いたいテーマの1つでした。
特に育児の場面では、それぞれに悪意があるわけではなくても、役割認識や負担感のズレが表面化しやすく夫婦関係の対立が顕在化しやすいと感じてきました。そうした日常の中にある“認識のズレ”を描きたいと思い、本作を制作しました。
ー同作を含めた作品『あなたの正義 わたしの絶望 ~その「主観」が毒になる時~』に寄せられた読者の反応の中で、特に印象に残っているものがあればお聞かせください。
「自分もこうなっていないか心配になった」という声です。作品を通して、自分自身の言動や相手への向き合い方を少し立ち止まって考えていただけたのであれば、とてもありがたく思います。
ー作中の夫のように“悪意のない言動”を描くうえで難しさや葛藤はありましたか?
被害を受ける側が確かにいる一方で、加害する側にも必ずしも明確な悪意があるわけではない、という点です。だからこそ、善意で動いているつもりの人がなぜその言動に至るのか、その行動原理や思考の偏りをきちんと分析し、作品の中に落とし込む必要がありました。
ただ単に“無神経な人”として描いてしまうと現実味がなくなってしまいますし、逆に擁護しすぎると傷つく側の痛みが薄れてしまいます。そうしたバランスを取りながら、悪気がないからこそ生まれてしまうズレのリアルさをどう表現するかには葛藤がありました。
<理系女ちゃん関連情報>
▽レタスクラブ連載中『あなたの正義 わたしの絶望 ~その「主観」が毒になる時~』
https://www.lettuceclub.net/news/serial/15190/
▽書籍『あなたの正義 わたしの絶望 ~その「主観」が毒になる時~』(Amazon)
https://amzn.asia/d/0a7pAS0O
▽書籍『先輩、実験が終わりません』(Amazon)
https://amzn.asia/d/06pnbp25
▽X(旧Twitter)
https://x.com/rikejo_chan