日々生活していると、家族やパートナーとの共同生活のなかで自分ばかりが動いて、相手は何もしないと不公平さを感じることもあるのではないでしょうか。しかし、よく考えてみると相手は気づいていないだけ、という場合もあるのです。
漫画家の小出もと貴さんの作品『「すぐに行動する派」は有利か不利か?反応閾値(はんのういきち)の話』では、そんな不公平さを感じてしまう心理について描いています。
物語は、学校の校庭でバスケ部が揉めている場面に、主人公の阿加埜と久慈先生が出くわすところから始まります。朝練に来ない部員たちに対してバスケ部の黒山が怒鳴りますが、部員たちはついていけない様子です。
阿加埜と久慈が黒山の話を聞いてみると、練習や掃除をサボるなと言っているだけで、自分は間違っていないと訴えます。そして基本を言っているだけなのに、なぜみんなから嫌われるのかわからないというのです。そんな黒山に阿加埜は「正しくないから嫌われるんだ」と一喝し、働きアリを引き合いに出して話を続けるのでした。
阿加埜の話では、働きアリは一定数働いていない蟻がいるにも関わらず、巣は順風満帆に運営されています。それは、いつも働いているアリが疲れた時に回復するまでの間、普段何もしていないアリが予備要員となれるためです。これにより、常に誰かが仕事をしているという状態を維持できるのだとか。
その話に納得しながらも、人間は違うと黒山が反論しますが、さらに阿加埜は「お前がみんなから嫌われるのは反応閾値が低いせいだ」というショッキングな言葉を放ちます。「反応閾値」とは、どれだけの事態が起きたら行動に移すかという値のことです。
例えば、部屋を放置すれば必ず埃が積もり散らかっていくものですが、すぐに掃除するのか、それともだいぶ散らかってきてから掃除するのかは個人差があります。これが反応閾値に差があるということだと阿加埜は言います。
反応閾値が低い人は部屋の汚れを見逃せず、誰よりも早く掃除をしようとします。しかし反応閾値が高い人と暮らすと、いつも自分が先に動いてしまうため負担が偏り、喧嘩の原因にもなります。
さらに、些細な変化を見逃せないことで頑張りすぎてしまい、最終的には自分自身が倒れてしまうことも。すると今度は反応閾値が高い側にサポートしてもらうことになり、「足手まといだ」と責められてしまう。そんな皮肉な展開が起こりうるのです。
阿加埜が黒山に対して、この反応閾値について力説するところで物語は終わります。そんな同作について、作者の小出もと貴さんに詳しく話を聞きました。
夫婦間で実感した「反応閾値」が刺さる
ー反応閾値の話をどのようにお知りになったのでしょうか?
面白いですよね。僕も最初に知った時には驚きました。進化生物学者・長谷川英祐先生の著書『働かないアリに意義がある』(メディアファクトリー刊)に反応閾値の話が分かりやすく書かれていて、そこで知ったのが最初だったと思います。
ーこの話を描こうと思ったきっかけを教えてください。
反応閾値について知った時、真っ先に思ったのが自分自身の結婚生活のことでした(笑)。ゴミ袋をまとめるタイミングなど色々と心当たりがありすぎて、きっとこれは多くの人にとっても刺さるテーマに違いないと思い漫画にしました。
ー反応閾値の差は、生まれつきなのか、環境で変化するものなのか。小出さんの見解があればお聞きしたいです。
僕は生物学者とかではないので見解などは恐れ多いのですが、人に関しては多分生まれつきもあり、環境で変わっていく部分もあるのだと思います。
ーちなみに小出さん自身の反応閾値はどちらだと思われますか?
どうなんでしょうね(笑)。作中の黒山というキャラは漫画を面白くするためにあらゆることに反応閾値が低いという設定にしましたが、現実にはジャンル別に反応閾値にバラつきがあるはずなので、誰もが「このことについては反応閾値が高いけど、こういうことには低い」みたいになると思います。僕の場合耳掃除を1日に何度もしてしまうので、耳掃除に対する反応閾値は低いのかもしれません。
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