京都市上京区にある非公開の寺院に、知られざる不思議な石が存在する。黒く輝くその石は、寺院の起こりや名称と密接に関わるとか。現地を訪れ、石が秘める歴史を追った。
その寺は、上京区下立売通千本西入ルの勝巖院(しょうがんいん)。1597年に開かれたという浄土宗(総本山・知恩院)の寺だ。寺号の意味は「勝利の石の寺」。名称の由来をひもとく上で、キーパーソンとなる一人の女性がいた。
勝巖院の本堂左手には、その女性の位牌が安置されている。高さ1メートルはあろうかという大型で、「逆修院殿廓玄長榮大姉」と記されている。
「逆修院」は佐賀藩鍋島家の女性とされる。勝巖院には「直姫」という俗名が伝わっているが、詳細な人生は分からない。直姫が亡くなったことを悼み、鍋島家の屋敷の一部が寄進され、寺が開かれたという。
しかしその女性と「勝利の石」との関係は何だろう。立田歓学住職(57)の案内で書院に向かうと、時代劇のセットかと見まがうような立派な床の間が現れた。
風格ある造りは、大名屋敷の雰囲気を色濃く残す。部屋を眺めていると、立田住職が「そこにあるのが、勝巖石です」と床の間右手の違い棚の下を示した。
勝巖石は高さ約30センチ。確かに黒い石に見えるが、上部から5センチほどの間隔でいくつかの「節」がある。あまり見たことがない形状をしている。黒光りする部分もあり、間近で見れば見るほど引き込まれる。
立田住職の解説は、寺の創建当時にさかのぼる。直姫が生きていたころ、まだ世には戦が絶えなかった。直姫はこの「勝巖石」をなでながら鍋島家の人々や家臣たちの戦勝祈願を行ったという。この石がある寺ということで「勝利の石」を意味する「勝巖院」という寺号になった。
だが、石の正体は一体何なのか。「木の化石と聞いています」と立田住職は明かす。玄界灘に面した佐賀藩が大陸から入手したらしい。確かに「節」のある石は希少であるし、長く大事にされるだろう。
一つの石と一人の女性の思いがきっかけとなり、やがて寺へと結実した。直姫の生涯は不明な点が多いものの、約400年たった現在も石に込めた彼女の思いは受け継がれている。
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勝巌院は本堂と方丈の庭園を修復するプロジェクトのクラウドファンディングを実施している。支援に対する一部の返礼品では、勝巌石の拝観も可能。支援は京都新聞社が運営する「THE KYOTOクラウドファンディング」で、来年1月14日まで受け付けている。