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宮中御用の「御所人形」を作る13世は54歳、父への思い、息子への期待…「3代で展覧会」も【伝統の継承】

太田 浩子 太田 浩子

 江戸時代から300年、人形作りを継承する御所人形師「伊東久重」の後嗣「伊東庄五郎」さんに、お話を聞きました。

 「御所人形」とは、江戸時代中期頃から京都の宮中や公家で愛好された、丸々として愛らしい幼児の姿を理想化した日本の伝統的な人形です。1体を制作するのに約1年がかかります。

 国産の桐の丸太を約30年乾燥させたあと、人形の形に彫り、100年以上前の和紙を貼り、その上に胡粉と呼ばれる牡蠣の貝殻の内側の部分をすりつぶした顔料を一子相伝の配合で約30回塗り重ね、磨き、さらに上塗りを20回ほど塗り、滑らかな光沢のある白い肌を作ったあと、目や口を墨と絵具で描きあげます。

 江戸時代初期に薬種商だった桝屋庄五郎が、京都の町に疫病が流行った時に人形『草刈童子』を作り玄関先に置いたところ、町内の人が病に罹りませんでした。人形の評判が良かったこともあり、桝屋庄五郎が薬屋をやめて「御人形細工師」を名乗ったことが伊東家の始まりです。

 初代が作った『草刈童子』は、伊東さんが幼稚園の頃までは、毎朝玄関先に出し、暗くなったら家の中に入れていたそうです。約300年もの間、町の人を見守ってきた人形は、今は大切に保管されています。

 江戸時代中期の明和4年(1767)に三代「庄五郎」が後桜町天皇より宮中出入りの人形師として「有職御人形司 伊東久重」の名をもらってからは、代々当主は「伊東久重」を名乗ってきました。現在、81歳の伊東さんの父が12世として今も精力的に人形制作を続けています。

 御所人形は、宮中の祝事などで飾るために作られてきた歴史があります。天皇家に納めた人形が割れる、というようなことがあってはいけないということから木彫にこだわって作られています。木彫で御所人形を作っているのは伊東家だけ。つまり、御所人形を天皇家に納めているのは伊東家だけです。

「いかにも御所人形師です…という時代ではない」

 いずれ13世伊東久重となる伊東さん。こちらの勝手な思い込みで、厳しそうなお人柄を想像していましたが、スーツ姿で登場した伊東さんは、気さくで明るい人でした。

「これからは着物を着て、いかにも御所人形師です…という時代じゃないと思う。より気軽に見にきてもらって、こんな気さくな人が作ったはるんやなって思ってもらう方がいい。僕の人形を持ってくれる人は、僕という存在を感じて持ってくれはると思うので、それに恥ずかしくないような生き方をしたい」と伊東さん。

 伊東家の長男として生まれた伊東さんは、90歳まで人形の衣装を作っていた祖母に、子どもの頃から「建ちゃん(本名が建一)、大きなったら人形作ってや」と言われ続けていたそうで、「おばあちゃんに言われたら弱いんですよ」と笑います。

 人形作りは家族全員でおこなっていたので、自分だけ遊びに行くことに気が引けて、高校生の頃から彫る手伝いをしていました。その後、大学を卒業して2年間は一般企業で働き、24歳で迷うことなく家に戻ってからは、ある程度まで彫った人形を父に渡すという下働きを毎日続けます。

 父は人形作りを教えてくれたわけではありませんでした。伊東さんが置いておいた彫りかけの人形が、次の日に仕事場に行くと手直しされて置いてある。

「パッと見たら、親父直したなっていうのはすぐわかります。たしかに、次の日見た人形の方がようなってる。もうちょっとこうしたらようなるとかって教えてくれたらいいなとは思うんですけど、何も言わんと。そういう無言のやり取りを10年間繰り返しました」

 34歳のときに、初めて父が「お前もそこそこできるようになったから、顔を描いてみるか」と言われて、最初から最後まで、初めてひとりで『ばんざい』という人形を作りました。その後も、父の手伝いを本業に、残った時間で自分の人形作りに取り組みます。

 そして39歳で初めて銀座の「和光」で展覧会を開催しました。「長い道のり」と、伊東さん。令和元年5月の陛下即位の日、48歳で「久重十三世嗣」として後嗣名「庄五郎」を襲名します。それからは、さらに精力的に作品を制作するようになりました。

「自分の展覧会をやりだすまでは、父は何も言わなかったんですけど、最近は、もうちょっとこうしたらというようなことを言われるようになった。やっとアドバイスしてもらえるぐらいのレベルに達したんかなという気がする」と言う伊東さんは、現在54歳です。

悠仁様の「成年式」で、初めて皇室に人形を納めた

 今年9月に、悠仁様の「成年式」に際して、初めて皇室に人形を納めました。

「寛政2年(1790)に光格天皇からいただいた『十六葉八重表菊紋印』は、天皇家に人形を納めるときだけに使う特別な印なんですが、初めてその印を捺して納めさせてもらった。家業に入ってちょうど30年という節目の年にそのようなお話をいただいたことで、どこかにあった心のつかえが取れたというか、転機になりました。これまでは父と同じ人形が作りたい、伝統的なものを作りたいという思いできましたが、この先は自分の好きなものを作ってみたいと思うようになりました」

 明治時代に、御所人形は3頭身で白い肌と定義されましたが、「あまりそういうこだわりはなくて、その時代に合わせて人形も変化していかなあかんという考えがあります。今は2頭身に近い人形『しらたま』や『ちびたま』の制作に力を入れていますし、顔の描き方も時代によって変わってきている。40年ほど前からは、『胡粉高盛金彩』のような人形の装飾品を作る技法を用いた人形以外の作品も作るようになりましたし、額装作品も増えています。時代とともに、こちらの方が人形よりもウケがいい。それはもう仕方がないというか当然のこと」と、冷静に受け止めます。

家業を継ぐのは長男とされている伊東家、今後は…

 伊東さんには2人の息子がいますが、伊東家では家を継ぐのは長男と決まっていると言います。伊東さんの長男は現在大学4回生。「家業に対する意識も少なからずあるのか、美術系の大学で学んでいます」と伊東さん。ただ、日本画を専攻しており、人形作りについては彩色などの手伝いをすることはあっても、彫ったことはないそうです。

 長男は来年から大学院に進むことが決まっていて、そのあと一旦は社会経験を積むために就職するとのこと。「息子には、家の仕事をせえとは言っていない。自分の好きなことをやったらいいと思う。社会に出てどういう経験をするかわからないですけど、やっぱり家の仕事は素晴らしいなって思ったら帰ってくるやろうし。クリエイティブな仕事をしたいという希望をちゃんと持ってるんで、本人に任せておいて大丈夫やと思っています。仮に息子がこの道に入ったら、父のようなやり方はしないで、僕はしっかり教えたい」と話します。

 2026年1月15日から25日まで、父の提案で、和光で父と伊東さんと息子の3人での初めての展覧会をおこなうことが決まっています。「最初は反対したんです。息子が大学生のうちに三人展をやろうなんて、僕なんか初めて人形を発表したのが34歳の時だったんで、孫にはえらい甘いなって(笑)。でも『おれが元気なうちに』というので、3代でするということはなかなかできることではないんで」としつつ、期間中におこなわれる息子とのギャラリートークを楽しみにしていると話します。

 将来息子さんが日本画の道に進み、人形師としての伊東家が途絶えても良いのかと聞くと、伊東さんは少し考えて、「そうですね…いいかな…。やはり本人の気持ちが大事だと思うので。ただ、人形は作らなくてもいいから、本質的な部分では、この家に代々伝わってきたものづくりの思いを自分なりに理解して、仕事に繋げて欲しいなとは思います。息子は私よりセンスがあると思います。固定観念にとらわれず、300年前に薬屋から人形師に転身した初代のように自由な発想で自分の人生を歩んでほしい。それはふたりの息子にだけでなく、私にも言えることだと思います」と、伊東家の未来への想いを明かしました。

◾️伊東家の展覧会の予定
つなぎ、つたえる「人」と「家」『特別展 京都 十二の家』
 会場:松屋銀座(東京都中央区銀座3-6-1)
 会期:2025年12月27日(土)〜2026年1月19日(月)(1月1日、2日は休業日)
『有職御人形司 伊東久重三代展』つなぐ・技とこころ
 会場:銀座和光(東京都中央区銀座4-5-11)
 会期:2026年1月15日(木)〜25日(日)
 ※伊東さんと息子さんのギャラリートーク:1月24日(土)14時〜

◾️御所人形師 伊東庄五郎
 ・HP https://itohisashige.com
 ・Instagram https://www.instagram.com/itoshogoro/

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