城好きの京都府舞鶴市立中筋小6年、田中惺文(さもん)さん(11)が、16世紀中ごろの山城とみられる痕跡を新たに発見した。父親や山城研究グループと、女布(にょう)の集落近くの現地を調査。敵の侵入を防ぐ防衛施設「堀切」のような地形を確認した。
城や古墳が好きな田中さんは、住職で父親の文秀さん(46)ら家族で全国の城や陣屋を訪ねている。地元の立体地図を見ていた文秀さんが、山中の逆L字型の平らな場所に気づき、惺文さんを呼んだ。「堀切(で区切られた曲輪(くるわ))では」とピンときたという。
調べるために訪ねた市郷土資料館(南田辺)で偶然、舞鶴山城研究会の会員と出会った。山城であれば未発見だと分かり、一緒に確かめに行くことになった。
7月25日、同市の女布、京田の両地域の境目付近で標高約110メートルに位置する現地を訪れた。曲輪と堀切とみられる地形を確認できた。惺文さんは「暑くて大変だったけれど、見つかって良かった」と振り返る。
舞鶴山城研究会の廣瀬邦彦会長(66)によると、既に知られている女布城の西側にあり、女布城の城主・森脇宗坡が、別に設けた城である可能性が高いとみているといい、仮称で「女布新城」と名付けた。
9月に西公民館が開いた「郷土史講座」で、惺文さんが山城を見つけたエピソードを発表した。「女布城と京田城からは海が見える。女布新城からは海が見えない」といった気づきも報告した。惺文さんは「女布新城をみんなに知ってもらい、城好きになってほしい」と話している。