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京都市の神社に奉納された「不思議な鏡」とは 見た目普通なのに、光を当てると…「平清盛」出現

陰山 篤志 陰山 篤志

 鏡面に光を当て、壁に反射させると、平清盛の像が結ばれる「魔鏡」が、京都市下京区西大路通八条上ルの若一(にゃくいち)神社に奉納された。魔鏡の像は、同神社とゆかりが深い清盛にさんさんと太陽が降り注ぎ、将来への希望を感じさせる構図となっている。奉納に関わった関係者は「清盛公が帰ってきた」「世界の平和を期待している」と感慨ひとしおだ。

 魔鏡は、大阪府豊中市の釘宮公一さんが制作し、7月に同神社で奉納式が執り行われた。同神社は、清盛が1166(仁安元)年に創建。清盛は翌年、武士として初めて太政大臣となった。立身出世した清盛にあやかろうと、多くの人々が訪れる。

 釘宮さんと同神社の中村重義宮司、上新田天神社(豊中市)の宮司で重義さんの弟の暢晃さんが昨年末ごろに会い、「今の世に清盛公がいたら」といった話で盛り上がり、奉納が決まった。

 魔鏡研究会の代表を務める釘宮さんによると、魔鏡は3千年ほど前に中国でできたと考えられるという。日本にいつ頃からあるかは定かでないが、江戸時代には魔鏡を土産物として作る人がいた。大森貝塚の発見で著名な米国人モースも関心を寄せたと言われる。海外にはマジックミラーとして紹介され、直訳した「魔鏡」の名が今も使われている。

 魔鏡は、まず、鏡の裏面に絵を彫る。表の方を研磨して薄くしていくと、表面に微細な凹凸ができ、反射光に裏面の絵が投影される。

 表面を見ても、模様は見えず、普通の鏡と変わらない。かつて幕府に弾圧されたキリスト教徒は、キリストの像を映す魔鏡を用い、ひそかに信仰を守ったとされる。

 昔の人々に大切にされただけでなく、魔鏡の原理は今も社会で生きる。釘宮さんは松下電器産業(現パナソニック)の元技術者。魔鏡から着想し、半導体の基板となるシリコンウエハーに光を当て、傷を簡単に見つける装置を開発し、半導体の品質管理に大きく貢献した。

 奉納した魔鏡は、ステンレスの鏡の裏面に清盛や光を彫った。重義宮司と相談しながら絵柄を考え、穏やかな表情や柔らかな光の具合に気を配った。

 元は1ミリ弱だった鏡の厚さを、複数のサンドペーパーを使い分けながら、0・7~0・8ミリになるまで慎重に研磨した。釘宮さんは「デザインが崩れないよう、変な傷を付けないよう気をつけた。雑念なく、無心に磨いた」と振り返る。

 鏡は、魔鏡制作で知られた人間国宝山本凰龍さん(故人)が手がけた、花々や翼を広げた鳥の姿が描かれた台にはめこんだ。

 7月7日の奉納式で披露。参拝者は、光が映し出した清盛像に見入り、盛んに写真に納めた。重義宮司は「清盛さんが戻ってきてくれた。うれしい」と喜んだ。釘宮さんは「見た方に感激してもらい、私としてもハッピー。日本の興隆と、世界平和を期待している」とした。

 若一神社では今後、祭りなどに合わせ、閲覧の機会を設ける。事前に連絡し、都合が許す場合は、個別に見てもらうことも考えたいという。

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