京都市で、今夏(6~8月)の平均気温が28.6度となり、3年連続で観測史上最高となった。温暖化の進行などによって「史上最も暑い夏」が訪れ続ける京都市は、各世代の「思い出の夏」からどれくらい暑くなっているのか。20~80代の各世代が、子ども時代を過ごした夏の平年値と比べてみた。
思い出の夏は、やはり小学生時代だ
気象庁によると、今夏の京都市中京区の平均気温28.6度は、1880(明治13)年の観測開始以来、6~8月として史上最高値となり、従来の記録(2024年、27.8度)を0.8度も上回った。高気圧の勢力が非常に強く好天が続いたことや、長期的な地球温暖化が影響しているとみられる。
今夏の京都市は、お盆を過ぎても38度を超え、熱帯夜は8月31日まで13日連続となっている。どれだけ京都が暑いといっても、昔はこんなことはなかったのでは。「五山の送り火」をすぎれば秋の気配が感じられたはずだ。
実際、昔はどうだったのだろう。記憶に鮮明な「思い出の夏」といえば、海水浴や昆虫採集、地蔵盆を楽しんだ小学生時代だ。
たとえば、今年40歳代(40~49歳)の人にとって、小学生時代は1983年~1997年の15年間のうち6年間になる。この方法で、各年代15年間の夏(6~8月)の平均気温を算出してみた。ちなみに、最近5年間(2021~25年)の平均値は27.6度だ。
【20代・2003~2017年】
21世紀に小学生時代を過ごしたZ世代。先人たちの所業のため、温暖化や都市化の影響が顕著になり、京都市でかつてざらだった「氷点下5度」を下回らなくなった時代(※最後は1997年)だ。太陽が、昨日よりまぶしく照りつけはじめた時代だ。
この時代の夏の平均気温は26.4度。最近5年間の猛暑に比べれば、大したことないように感じる。今の暑さは、次のステップに進んでしまったのだ。
あまりぴんとこないだろうが、26.4度は今年の水戸市並みの気温になる。
【30代・1993~2007年】
当時として飛び抜けて暑かった1994年、京都市の夏の平均気温は27.0度で、初めて27度台に到達した。最高気温も史上初めて39度を超え、当時は「異常気象」と呼ばれた。しかし、現代では当たり前の暑さになってしまった。
この時代、夏の平均気温は26.2度で、今年の新潟市並みだった。「39度の とろけそうな日」なんて、もう2度と来ないと思っていたのに。
【40代・1983~1997年】
日本経済が熱かったこの頃、京都市の夏の平均気温は今年より2.8度も涼しい25.8度だった。今年でいうと、石川県輪島市並みとなる。
この時代の小学生も今や40代。現代の「京都で一番暑い夏」をゼブラのストライプで駆け抜けたら、熱中症で倒れてしまう。恋をした1993年とは暑さの級(クラス)が違うのだ。
【50代・1973~1987年】
この時代の夏の平均気温は25.5度。今年の新潟県佐渡市並みだ。この期間、大半の夏は平均気温25度台だが、京都市で25度台の夏は2009年を最後に出ていない。
当時の子どもたちは、夏休みになったら、青い風を切って南の島に行きたかったに違いない。ちなみに、今年の那覇市と宮古島市、石垣市は、35度を超える猛暑日はゼロだった。今こそ南の島に行きたい。
【60代・1963~1977年】
重工業やモータリゼーション華やかなりし頃。敗戦から立ち直り、日本の豊かさを国民みんなで築き上げた時代だが、未来にこんな猛暑が来ることは誰も予想していなかっただろう。
アポロ11号が月に到着した1969年7月20日の夜、京都市は真夏にもかかわらず熱帯夜ではなかった。暑いのは、真っ赤に燃えた太陽が出ている日中だけだったのだ。この時代の夏の平均気温は25.4度で、今年の長野県松本市並みだった。
【70代・1953~1967年】
団塊の世代が過ごした昭和30年代前後の夏は、今よりもずっと涼しかったようだ。この時代の夏の平均気温は25.3度。今年の秋田市に該当する。ついに東北地方に来てしまった。
三丁目に夕日が暮れる頃、京都市の気温は大概30度を切っていた。今、そんな日はほとんどなくなってしまった。
【80代・1943~1957年】
1945年8月15日の玉音放送の日、京都市の最高気温は36.3度。しかし、翌朝は23.5度まで下がりました。まだアスファルト舗装がされず、エアコンもなかった時代、都市化の影響はごく限られていました。
京都市の夏の平均気温は24.9度。今年の盛岡市並みで、最近5年間(2020~24年)の9月よりも涼しかったのです。かつて清少納言が「世に知らず暑さ」と記した京都の夏の暑さは、現代では初秋の気温になってしまったようです。
皆様は夏が来れば、思い出すのでしょうか。「はるかな過去」になってしまった、京都の本来の気候を。10月も暑さが続くようです。どうかご自愛ください。