Aさんは、都内の総合病院で10年目を迎える中堅看護師です。日々の業務にはやりがいを感じていましたが、1つだけどうしても慣れることのできないストレスがありました。それは長期入院中の高齢男性患者Bさんの存在です。
Bさんは、Aさんにとって悪夢のような存在でした。ナースコールが鳴って駆けつけると、「テレビのリモコンを取ってほしい」「ティッシュが数センチ遠い」といった些細な用事ばかりを言ってきます。しかも病室を訪れるたびに、Aさんは頭の先からつま先まで嘗め回されるように見られ、不快感に襲われるのでした。
ある日の午後、Aさんが点滴の交換に訪れると、Bさんは些細なことで激高し始めました。Aさん個人への罵倒に始まり、やがて「使えない」「税金泥棒」といった言葉が、病室中に響き渡ります。
Aさんはあくまで冷静に、毅然とした態度で業務を終えましたが、心中穏やかではありません。まるで自分は看護師ではなく、身の回りの世話をする家来なのだと言われているようでした。このような患者からのハラスメント(ペイシェントハラスメント)に対して、看護師はどのように対応したらよいのでしょうか。看護師専門の研修講師である太田加世さんに話を聞きました。
ハラスメント対策のマニュアルを整備している病院も増えている
ー「ペイシェントハラスメント(以下、ペイハラ)」には、どのような事例がありますか
医療現場では、看護師の人格を否定するような深刻なハラスメントが実際に起きています。Bさんのように「使えない」「税金泥棒」といった暴言を浴びせるケースや、体を執拗に触ったり、しつこくデートに誘ったりするセクシャルハラスメントが挙げられます。相手が明確に嫌がっているにもかかわらず、高価なネックレスをこっそりポケットに入れるといった陰湿な行為も耳にしたことがあります。
ただし手術後のせん妄や脳の障害といった病状が原因で、患者さんが暴言を吐いたり、時には暴力を振るったりするケースもあるため、冷静な対応も求められます。
ーペイハラが看護師に与える影響はどのようなものでしょうか
暴言や見下した態度を取られることで、「自分は看護師ではなく、まるで家来のように扱われている」と感じ、自尊心を深く傷つけられます。特に経験の浅い新人看護師や、気の弱い性格の看護師は標的になりやすく、精神的に追い詰められ、泣き出してしまうこともありました。
ー看護師がペイハラに遭遇した際、どのように対応するのが望ましいですか
もっとも重要なことは、決して1人で抱え込まないことです。ペイハラは個人の問題ではなく、医療機関全体で取り組むべき組織の問題です。まずは信頼できる同僚や先輩に相談し、何が起きているのかを共有してください。1人で対応するのではなく、「チームで対応する」という意識を持つことが大切です。
その上で、上司に具体的な事実を報告し、組織としての対応を求めましょう。現在では多くの病院でハラスメント対策のマニュアルが整備され、問題行動が深刻な場合には、警察と連携する体制を整えているところもあります。
個人の我慢やスキルで解決しようとせず、情報を速やかに共有することが、自分自身を守り、健全な労働環境を維持するために不可欠な行動と言えます。
◆太田加世(おおた・かよ) C-FEN(シーフェン)代表
病院勤務、大学教員等を経て、2007年より現職。看護師を対象としたマネジメント、コミュニケーション等の研修を行う。著書に「看護管理 ナースポケットブック」(Gakken)等がある。