「障がいのある人にエロスは必要なのか?」
そんな問いは、これまで社会のなかでほとんど語られてこなかった。
障がい者の性について語ることはタブーとされがちで、障がい者支援の現場でも、このテーマは長らく見過ごされてきた。
食欲や睡眠欲と同じように、性欲もまた人間にとって欠かすことのできない根源的な欲求である。そこには生殖のためだけではなく、快楽の仕組みやエロスの感性も存在する。
よって障がいの有無にかかわらず、こうした「快楽」や「エロス」にアクセスする権利は等しく容認されるべきではないか。
本記事では進行性の筋疾患を抱える青年と、彼の支援者、そして彼に「快楽」と「エロス」を届けた風俗嬢のストーリーを通し、福祉と欲望の新しい在り方を考えたい。
「性は不要」ではなく、人としての欲求を
「考えまいとしても体は自然に反応する。『普通』なら手を下半身に伸ばせば済むこと。射精を求めて勃起する性器をもてあますが、自由のきかない自分の手ではどうすることもできない。欲望が、次第に絶望へと変わっていく──」
進行性の筋疾患、筋ジストロフィーを抱えるSさん(20代後半の男性)は四肢の自由を失い、電動車椅子と人工呼吸器を装着、24時間の介助を必要とする重度の身体障がい者だ。
寝たきりに近い状態ながら、細い指でiPhoneを操り、LINEでの友人との交流や、AIでイラストを生成して楽しむ。社交的で才能あふれる彼にも、当然ながら年齢相応の性欲がある。
しかし、自分の手ではそれを処理できない。
「教育者であり『良識人』である母や兄にも打ち明けるわけにはいかず、友人にも話せなかった。
その膨らむ欲求に対して彼は…「それはもう、欲求が通り過ぎるのを待つだけ」と明かす。
四肢の不自由さに加え、快楽やエロスへのアクセスが制限される状況は、自己の存在意義に関わる強い葛藤を伴うこともある。それは、人生における可能性を狭めるリスクもはらんでいる。
持続可能な社会を目指すSDGsは「誰一人取り残さない(Leave no one behind)」という理念の下、障がいのある人々の物理的なバリアフリーや社会的アクセスの保障を推進する。しかし、自然に湧き上がり、ギャンブルなど射幸性の高い娯楽と同様、不健全な欲求とされる「快楽」や「エロス」へのアクセスは置き去りにされている。
支援の現場で語られない「性」
福祉施設や介護・看護の現場では、エッセンシャルワーカーとしての「尊さ」や「清らかさ」が強調されがちである。この風潮が、「障がい者の性」に関する課題を表に出しにくい雰囲気を作っている。
同時に、障がい者には「苦難を抱える弱い人々」や「清らかで純粋な存在」といったイメージが無意識のうちに押し付けられる。こうした先入観は、障がい者を受動的な「守るべき対象」として捉え、「主体的に欲求を持ち、自ら選び判断する存在」としての人間性を見えにくくしている。
しかし水面下では、介護士や家族が性的なケアを担うこともある。さらに、母親が妊娠するというケースもあるという。実際、Sさんも10代半ばの頃、女性介護士に図らずも「射精介助」をされた経験があった。
「浴室で洗身してもらっているとき、意に反して下半身が反応してしまった。40代くらいの女性で最初は驚かれて。でも『仕方ないよね、どうする?』と、自分の手でしてくれました」
処理が済むと介護士はゴム手袋を外し、洗浄を済ませると何事もなかったかのように帰っていった。そんな射精介助は4回ほど続いたが、担当が変わり、その人は来なくなった。その介護士に感情移入しなかったのか? 好きにならなかったのか?
「『女性の介護士や看護師がどれだけ優しく、好意的であっても恋愛感情を持ってはいけない』というポリシーがありました。父から強く言われていたことでした」
そうしたことからも、「射精した」という快感はあっても、快楽やエロスを感じるものではなく、「排泄介助」の一環でしかなかったとSさんは振り返る。
福祉の枠組みを超えた支援
直接の支援者ではないが、Sさんには福祉の仕事に携わる30代のTさんという女性の友人がいる。十数年前に、Tさんの夫が入院していた病院で出会って以来、交流が続いている。
Sさんは自身の障がい経験を活かし、障害福祉の業務に携わっていたのだが、ある日Tさんに「自分が支援している知的障がいの中年男性が、介護士に触れるといった問題行動を起こしている」と相談を持ちかけた。
Tさんはかつて風俗の仕事に就いていたことをSさんに明かしていたこともあって、性的な話題も自然に語り合うことができた。Sさんは「彼の性衝動を落ち着かせるには、一度、風俗のサービスを体験させるのはどうか?」とつぶやいた。
それを聞いたTさんは、ふと思いつくように返した。「その男性より、まずあなた自身が経験してみるべきじゃない?」と。突発的なひらめきだったが、Sさんにとってはそれが大きなきっかけとなった。
実はTさんの夫にも重度の障がいがあったが、性的な魅力があり、モテる人だったとSさんは言う。「障がいと性的魅力は無関係だと感じている。むしろ『襲われる心配がない』という安心感が、独特の魅力になっていると思う」
Sさん自身も、風俗に対する関心が全くなかったわけではない。しかし、実際にサービスを利用するには多くのハードルがあった。
「店舗やホテルに出向くにしても、自宅に招くにしても、まずはヘルパーに事情を説明する必要があったし、理解を得られるのか不安だった。自分の身体状態でサービスが受けられるのかもわからないし…」
対して、Tさんは「できることがあるなら、協力したい」と伝えた。その取り組みは通常の福祉の支援の枠組みではなく、個人的な取り組みとして動き始めたのだ。
「射精介助」ではなく「エロス」を
障がい者の性のフラストレーションを解消する射精介助サービスは存在する。しかし、その多くは福祉の延長線上のサービスであり、当事者の代わりに性器に触れて射精を促すというものだ。
サービス提供者は白衣を着用し、手袋を装着して介助にあたる。そこでは、福祉としての誇りや社会的貢献性が強調されている。確かに性的な行為ではあるが、それはあくまで「排泄ケア」と同様の支援として位置づけられており、「愛撫」ではなく、「生理的な処理」として行われる。
「単に『抜く』だけではなく、私はSさんにエロチックな雰囲気や恋人のような肌の温かさを感じてもらいたかった」とTさんは言う。Sさんも乗り気になったようなので、地元の風俗店、いわゆる「デリバリーヘルス」を探すことにした。
しかし、重度の障がいがあるSさんを受け入れる店舗はなかなか見つからなかった。電動車椅子で人工呼吸器をつけた状態でラブホテルに行く─、そのリスクの大きさが壁になったのだ。
デリバリーヘルスのなかには障がい者向けの店舗もあったが、Sさんはウェブサイトの写真を見て「なんとなく、介護っぽい」と感じたという。「40代の方が中心で…できれば同年代の可愛い子がいい」とはにかんで答えた。
そもそも、デリバリーヘルスは風俗嬢が指定先に出向くシステムで、ラブホテルを利用することが多いが、Sさんの場合は緊急時を考えると自宅が現実的だ。しかし、母と兄と同居するSさんにとっては、それも難しい状況だった。
ところがある時、母と兄が北海道旅行へ行くことに。ついに絶好の「神タイミング」が訪れたのだ。
「エロス」を届けた人
Tさんは地元の風俗店では難しいと判断し、隣県に住む知人の風俗嬢はづきさんに相談した。はづきさんの所属店舗も当初は難色を示したが、Tさんの思いに共感した彼女は店舗を説得し、自らサービスを提供することになった。
ショートカットの利発な雰囲気を持つはづきさんは、本業はクリエイティブ系の会社に勤める聡明な20代前半の女性。金銭的な理由で風俗の仕事を選んだわけではない。あくまでも「エロス」への興味などから、この仕事に携わっているという。
「福祉関係の人が障がい者のためにデリバリーヘルスを呼びたいという状況が単純に面白かったし、お役に立てるなら協力したかった」。その時の心境をはづきさんはそう語る。「身体が動かない人とのプレイってどんな感じだろう」という興味もあったという。
その日、はづきさんはTさんが運転する車でSさん宅を訪れた。到着したのは午後7時頃。インターホンを押すとドアが開き、ヘルパーに部屋まで案内された。Sさんと挨拶を交わしたあと、はづきさんがシャワーを使っている間に、Sさんは自室のベッドで服を脱いで待機していた。
「Sさんは緊張していましたが、最初から割と勃起してました。『ほぼ初めてだから教えてほしい』と言われ、『じゃあ、キス、全身リップ、フェラ、素股、一通りやりましょう』ということになりました」とはづきさんは振り返る。
「『キスの時は目をつぶった方がいいのかな』とか真剣に考えているのが可愛かった。Sさんの身体の可動範囲や注意点は、事前にTさんから確認していたので、体勢が難しい時は、2人で『こうかな?』と探りながら進めました。筋肉が動きにくく、表情や動きから反応が分かりにくいので、『どんなことしたい?』『気持ちいい?』と何度も尋ねつつ、という時間でした」
最初、はづきさんに触れることをためらっていたSさんだったが「それを察して、手を持って誘導してくれた」と言う。Sさんは興奮で夢中になるというより、「これでいいのかな」「なるほど、こうなのか」と感心したという。そして、最後は仰向けの状態で口内射精に至った。プレイの後は、エロスについての談義で盛り上がり、80分ほど滞在した後、はづきさんは帰っていった。
その時の印象を「女性との肌の密着が印象的だった」と語るSさん。改めてエロスとは何か?と尋ねてみると少し考えて、「コミュニケーション」と答えた。それは、肉体的な快感だけでなく、他者との感情的な繋がりや深い理解を深めることができる「場」でもあることも感じ取ったのだという。
「自身の身体的状況からそうしたこと(性体験)が出来るのか?」と思春期の頃から悩んでいたSさんは、実際の体験を通してその疑問がようやく解消されたと感じている。これは彼にとって、大きなハードルを乗り越えた瞬間だった。快楽やエロスの喜びにとどまらず、彼の内面に自信と積極性を芽生えさせた。
「語れないニーズ」のケアのあり方とは?
Sさんはヘルパーの協力を得ながら、自ら性的サービスを利用する方法を主体的に模索し始めた。ヘルパーもSさんの前向きな変化を受け止め、ラブホテルへの同行、電動車椅子や人工呼吸器の整備、緊急時に備えた待機体制の整備など、支援体制を強化した。
こうしたなかで新たな問題も出てきた。風俗嬢の退出後、自動施錠システムによりヘルパーが部屋に入れなくなるというトラブルが発生したのだ。ヘルパーは困惑するフロントと交渉せざるを得なかった。こうした施設はプライバシーへの配慮が徹底しているが、それは健常者を前提とした設計であり、障がい者の利用を困難にする結果となっていたのだ。
障がい者にとって、性的快楽やエロスへのアクセスは大きなハードルとなっている。SさんにはTさんや信頼できるヘルパーがいたことで、支援や連携の糸口が生まれた。しかし、それらは本来業務から離れた、個人的な支援によるものだった。
ちなみに、はづきさんがSさんの家を訪れた後日、Sさんは兄からさりげなく「夜に女性が来たみたいだけど誰?もしかして風俗?」と尋ねられたという。セキュリティの厳しいSさんの自宅のインターホンのシステムに、バッチリメイクの若い女性の顔が記録に残っていたのだ。
「友だちが遊びに来ただけ」とSさんは苦し紛れに返した。兄はそれ以上何も言わなかった。
だが、本来であれば、性についてごまかさずに語ることができ、受け止めることができる関係性や福祉の在り方を目指すべきではないだろうか。
医療技術の進歩によって、かつてはつなぐことができなかった命も救われるようになった。その命のなかには、あらかじめ快楽やエロスへの欲求もインストールされている。福祉の枠組みにおいても、快楽やエロスをタブーとして扱い、秘密裏に処理するのではなく、ケアプランの一つとして正面から向き合うべきなのかもしれない。