夢だったパティスリーを開業したものの5年で経営難に陥り閉店。手元には多額の借金が残った。「夢は叶えてからが大変」という苦い現実に直面し、人生の岐路に立たされたパティシエ・白井葵(蓮佛美沙子)の再生を描く夜ドラ『バニラな毎日』(NHK総合)が、複雑な現代社会で生きづらさを抱える視聴者の心を捉えて離さない。
閉店してからも原状復帰にお金がかかるため、居抜きで店を借りてくれる借主が見つかるまでアルバイトを掛け持ちして毎日を過ごす白井。そんなある日、謎の“大阪のおばちゃん”佐渡谷真奈美(永作博美)から声をかけられ、空いている厨房をレンタルして「お菓子教室」に使わせてもらえないかと頼まれる。
「お菓子教室」にやってくるのは、カウンセリングに通う悩み多き生徒たち。佐渡谷の持つ不思議なパワーに巻き込まれ、生徒たちが一歩を踏み出すきっかけとなる「お菓子作り」に立ち会ううちに、白井は少しずつ本来の自分を取り戻していく。
ドラマ部配属1年目のディレクターが企画発案したドラマ
賀十つばさの小説『バニラな毎日』『バニラなバカンス』(共に幻冬舎)を原作に、原作では東京だった舞台を大阪に移し、オリジナルの設定やエピソードを加えてドラマ化した本作。企画を発案したのはNHKに入局4年目、ドラマ部に配属されて1年目(企画採択当時)の若手ディレクターだ。
本作を制作するNHK大阪局ではここ数年、若手のディレクターやプロデューサーが出した企画をベテランの制作統括やチーフ演出がサポートして実現した作品がしばしば見受けられる。土曜ドラマ『探偵ロマンス』(2023年)、土曜ドラマ『パーセント』(2024年)などもその一例で、『バニラな毎日』も含め、いずれも良作ぞろいだ。
夜ドラ『バニラな毎日』はどのようにして生まれたのだろうか。企画発案者で第5週の第19夜と20夜(2月19、20日放送)の演出も兼任するディレクターの影浦安希子さん、制作統括の熊野律時さんに話を聞いた。
原作の良さを大切に、人物の表情や息遣いをリアルに映し出す
──影浦さんは原作のどんなところに惚れ込んで、「これをドラマにしたい」と思われたのでしょうか。
ディレクター・影浦安希子さん(以下、影浦):私はよく書店巡りをするのですが、原作との最初の出会いは、書店で平積みされていたのが目に入り、「なんて美味しそうで素敵な装丁なんだろう」と思ったことです。実際に読んでみると、悩みを抱えた人物を描いた作品はたくさんありますが、『バニラな毎日』は重すぎず、絶妙な塩梅で描かれていました。悩める「生徒」たちと接する中で、主人公の白井自身の心もほぐれていくストーリーと、佐渡谷という強烈だけど芯が温かいおばちゃんに、私自身が強く惹かれました。
人は家族だったり会社だったり、いろんなコミュニティ、それぞれの環境の中で自分の役割があるけれど、そういうものをとっぱらって自分を出せるこの「お菓子教室」のような場所ってとても貴重だと思うんです。これはもしかしたら夜ドラの枠に合うのではないかと思い、企画を出しました。
──『バニラな毎日』は何度目の企画提出で通ったのですか? また企画書を書く際やプレゼンでは、どんなところを大事にされたのでしょうか。
影浦:私は大阪局が初任なのですが、最初の2年は育成班という報道系の部署に所属し、ニュースリポートなどを制作していました。ドラマ部に来たのは2023年で、この『バニラな毎日』は2回目の提出で採択して頂きました。この作品をドラマ化するにあたって考えたことは、原作の良さをいちばんに大切に、文字だけでは表現できない部分を魅力として出すということでした。たとえば、お菓子の製作過程、それを見た人物のリアクションや表情、息遣い、そういったものが見て取れるのが映像作品の強みであり、映像化する価値だと考えました。
物語にも企画書にも、入り口に「切実さ」があった
──ドラマ部所属1年目での企画採択というのは、かなり優秀なのではないでしょうか。
制作統括・熊野律時さん(以下、熊野):NHKでは、企画について特に年齢や年次に関係なく幅広く募り、その中から良いものを採択していくという風土がもともとありました。「意図して取り組んでいる」というよりは、必要な体制だと思います。ただ、ここ数年でさらにそれがやりやすくなったところはありますね。そんな中でも、影浦Dのようにドラマ班に配属1年目で企画が通るというのは、なかなか珍しいと思います。
──影浦さんの企画を見て、「これはいける」と思われたいちばんのポイントはどこでしょうか。
熊野:とにかく企画のテーマが明確でした。企画者が「こういう物語を見たい」という気持ちがストレートに出ていたところが大きかったです。それが推進力にもなっていますね。この物語は主人公の白井の「どん詰まり」がスタート地点で、一度叶えた夢を持続させるのはすごく大変だという「切実さ」がまず入り口にあります。そこへ佐渡谷という個性的なおばちゃんが現れ、白井を揺さぶる。生徒たちの悩みに触れながら、白井自身の悩みの本質も明らかになっていき、その真ん中にお菓子がある。
味覚・聴覚・嗅覚・視覚・触覚という五感を全部使ってお菓子を作るうちに、生徒の心も白井の心もほぐれていく…。こういうことが体感できる場所があったらいいなという「切実さ」が、企画書から伝わってきました。それは影浦D自身が強く感じていることであり、同時に、あまねく今を生きる人たちの中にある感覚なのではないかと。これは幅広く届く物語になるんじゃないかと思いました。
ドラマで最も重要なのは、心が動く「その瞬間」を作り出すこと
──制作統括の熊野さん(『舞いあがれ!』制作統括ほか)をはじめ、チーフ演出の一木正恵さん(『おかえりモネ』チーフ演出ほか)、演出の安達もじりさん(『カムカムエヴリバディ』チーフ演出ほか)など、ベテラン勢が若い発案者の企画をバックアップする際には、どのような制作体制で、どんな話し合いが持たれたのでしょうか。
熊野:企画が通ったらまず、僕も含めてチームを作ります。主要スタッフは皆いっしょになって取材をしつつ、どうしたらこの企画を32話の物語にできるのか、構成を考えます。その話し合いの中で、我々が最重要課題だと思ったのが「人間関係」を丁寧に映し出すということ。ドラマの中で「お菓子の魔法」というキーワードを使ってはいますが、ただお菓子を作るだけでは魔法はかからない。
このドラマでいちばん登場時間が多いのが「パティスリー ベル・ブランシュ」の厨房ですが、本当に逃げ場のない、大きなアクションもない、白井と佐渡谷と生徒の3人がお菓子を作りながら喋っているだけの場です。その中にあって登場人物が自分の心の内を吐露するに至るには、どういう物語の流れを作ればいいのか。五感の全てを駆使するお菓子の製作過程と、演者さんの芝居がつくり出す人間模様とが絶妙に絡み合って、初めて魔法がかかる。
「あ、そうか」「こういう気持ちの流れがあると、確かに自分の気持ちを話してしまうかも」と視聴者の皆さんに思ってもらえるその「瞬間」をつくり出すこと。これを大事にして、各部署のベテランも若手も一緒になって考えていきました。
──最後に、後半の見どころをお願いします。
影浦:第4週・13夜、マカロンを作る回で「パティシエに必要なのは、(手技だけでなく)一瞬の状態の変化を見逃さないこと。総合的な感覚が大切」という白井の台詞があるのですが、後半でこの言葉が白井自身に跳ね返ってきます。居抜きで借りてくれる新しい借主が見つかり、大手菓子メーカーからスカウトも来て、第5週では白井自身が「お菓子教室」の最後の生徒となり、自分の過去と向き合うターンとなりましたが、この後もなかなか思い通りにはいきません。そんな中、何が白井の学びになって、どうしたら白井が成長していけるのかを、作り手の私たちは考えました。白井だけでなく、誰かのどこかに自分を重ねることのできる物語だと思います。どうか最後までご覧ください。