北陸の農家の娘として育ったAさんは、高校を卒業したら東京の大学に進学したいと考えていました。ただ両親は、Aさんには地元に残って婿を迎えて農家を継いでほしいと考えていたのです。
そこでAさんは親の反対を押し切って、自力で東京の大学に通うことを決意します。無事に希望の大学に進学したAさんは、親の力を借りずバイトや奨学金を使ってひとりで学費を工面するのでした。
その努力の甲斐もあり、希望の企業に就職できたAさんでしたが、両親とは引き続き絶縁状態のままです。高校卒業後は実家に帰省することがなかっただけでなく、連絡すらとっていません。
Aさんが東京で社会人5年目を迎えたころ、Aさんのもとに心当たりのない借金の督促状が送られてきます。その借金はAさんの父方の祖父が遺したものだったのですが、彼女は祖父が亡くなったことを知らされていなかったのです。慌てて両親に連絡を取ったところ、1年前に祖父が他界しており、父親は相続放棄をしたというのです。
学費も自力でなんとかしてきたAさんにとって、新たに借金を背負うことは大きな重荷です。Aさんは祖父が遺した借金を支払わないといけないのでしょうか。北摂パートナーズ行政書士事務所の松尾武将さんに聞きました。
ーAさんは祖父の遺した借金を支払ないといけないのでしょうか
父親が相続放棄をしている時点で、Aさんが代襲相続することはないため、祖父の遺した借金を支払う必要はありません。
ただし、父親が相続放棄をしていない状態で祖父よりも先に亡くなった場合や、Aさんが祖父の養子になっていた場合は、Aさん自身も相続放棄の手続きが必要となります。
相続放棄をおこなうためには「自己のために相続の開始を知った時から3カ月以内に」家庭裁判所に申述をすることが必要です。この「3カ月以内」を熟慮期間といい、熟慮期間の起算点は亡くなった人の死亡時点ではないことに注意すべきです。
仮に10年前に亡くなった人のケースであったとしても、自身が「自己のために相続の開始」を知っていなければ、家庭裁判所の判断により相続放棄の申述が認められることはあります。
ー相続放棄ができる条件はどのようなものですか
相続放棄の申述が認められるためには前述の熟慮期間内の申し立て以外に、「相続財産の全部又は一部を処分していないこと」などの法定単純承認事由がないことが挙げられます。仮にAさんが祖父の財産を勝手に処分していると、相続放棄の申述は認められないことになります。
いずれにせよ相続放棄の申述を認めるかどうかは、最終的に家庭裁判所が判断します。なお、最高裁判所による昭和59年4月27日の判例(最高裁判所民事判例集第38巻6号698頁)以降、積極財産(財産)は認識していたものの、消極財産(負債等)の存在を認識していなかった場合には、後の相続放棄の申述を認める傾向にあるようです。
裁判所が公表している司法統計によると、相続放棄の却下率は0.2%前後で推移していることから必ずしも相続放棄の壁は高くはないと思います。特に負債にまつわる相続放棄は自身の生活にも影響が及ぶことから、まずは速やかに専門家に相談することをおすすめします。
◆松尾武将(まつお・たけまさ)/行政書士 大阪府茨木市にて開業。前職の信託銀行員時代に1,000件以上の遺言・相続手続きを担当し、3,000件以上の相談に携わる。2022年に北摂パートナーズ事務所を開所し、相続手続き、遺言支援、ペットの相続問題に携わるとともに、同じ道を目指す行政書士の指導にも尽力している。
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2024年12月16日に記事を修正しました。
【お詫び】
本記事において、父親が相続放棄をした場合にも孫が祖父の借金を引き継ぐという誤解を招く記述がございました。父親が相続放棄を行った場合、法律上、孫は「そもそも相続人ではなかった」とみなされるため、借金を引き継ぐことはありません。
そのため、「知らないうちに相続人としての地位が移る」といった記述は誤りでした。この点について記事を修正し、内容を改めました。読者の皆様には心よりお詫び申し上げます。