陽が長くなった6月のある水曜日の朝4時、「ニャーニャー」という子猫の鳴き声で目が覚めました。
鳴き声は、家の前の道路から動物病院の敷地に入ったあたりから聞こえてきました。外に出ると、黒っぽい子猫が病院の周りのフキとドクダミのジャングルに走り去るのが見えました。そこまで走れたのだから、怪我もなく、衰弱している様子もなさそうだと判断し、様子を見ることにして家に戻りましたが、結局寝付けませんでした。その日は遠くの動物病院で勤務する日だったので、寝不足のまま新幹線に乗り、夜遅くに帰宅しました。
翌日の木曜日、当院で窓を全開にして診察していると、夕方になり、明らかに病院の窓の下のあたりから子猫の声が聞こえていることに気付きました。窓を開けて下を見ると、ジャングルの中を歩く子猫が! 昨日の朝に見かけた子猫だと、その時思い出しました。
しかし、近寄ると逃げてしまいます。「クロちゃん!」と適当な名前で呼ぶと反応して返事をするものの、捕まりません。このジャングルには蛇も住んでいて、素足で踏み込むのは危険です。ジャングルの中にドライフードをばら撒き、病院の出入り口にウェットフードを置いておきました。
金曜日はまた別の動物病院で勤務していたので黒猫の様子はわかりませんでしたが、帰宅後に防犯カメラを確認すると、どうやら当院のジャングルをアジトにして夜間に活動していることがわかりました。外に置いたゴハンは空になっていましたが、別の猫が食べた可能性もあります。土曜日には夜から大雨の予報が出ていたので、雨の前に捕まえなければと思いつつ、捕獲器は日曜日になるまで借りられない状況でした。
土曜日の朝、病院の入り口付近と庭にウェットフードを置きました。その日は診療中に何度も子猫が庭に姿を現しました。子猫はよく見ると真っ黒ではなく、尻尾の先や前足に縞が入っていました。午前中は、診察を受けにやってきた飼い主さん達と協力して2方向から挟み撃ちしましたが、失敗に終わりました。しかし、午後の診察中、庭に置いたお皿から子猫がウェットフードを一心不乱に食べ始めました。患者さんに「先生!子猫が外のごはんを食べてるよ!」と言われ、外に飛び出して食べている子猫を抱きかかえ、運良く保護することが出来ました。触るとあばら骨が浮き出ていてガリガリでした。
子猫は人に慣れている様子で、入院室に入れても数分間はおびえた声を出していましたが、すぐに大人しくなり、ごはんを食べ始めました。夜にはすっかりくつろいで入院室で爆睡していました。4日間の野営生活で疲れたのでしょう。
わが家の猫の定員は3匹と決めていたので、この子猫は里親募集をしようとしましたが、天から「飼いなさい…」というお告げがあり?、飼うことにしました。実は2年前に看板猫にするつもりで飼った茶トラは、人懐っこい性格だと思いきや、知らない人や犬猫には「シャーシャー!」と唸り、ケージから出そうとした私に咬み付く始末で、当猫のストレスなども考慮してお役目御免ということにいたしました。その後に来たこの子猫は、犬が来ても全く動じず、老猫ちゃんの診察時には、気づくと老猫ちゃんと一緒にキャリーケースに入っていたほどの肝の据わった女子でした。
家では、幼いころのひもじい生活の反動か、食欲が旺盛すぎて、先輩3匹のごはんも押しのけて食べてしまう状況です。
◇ ◇
当院がある古い町並みには、数は少なくなりましたが、地域猫はまだ生息しています。
猫の繁殖期は春から夏で、6月は1回目の出産で生まれた子猫たちが親離れする時期です。町内に住む飼い主さんお二人から、同じような母猫と子猫の家族のお話をお聞きしました。
お一方からは、「どうにかして捕まえて、里親に出したいのだけれども、どうしたものか?」と、5匹の子猫をつれた母猫の写真を見せられました。結局母猫を保護して避妊手術を施しリリースしたそうです。子猫は2匹は捕まえて里親に出せたけれども、残った3匹の行方はわからなくなったそうです。
もう一方の飼い主さんのお宅近くに住む親子は、初めは4匹の子猫を連れて歩いていたそうですが、気がつくと2匹がいなくなっていたそうです。飼い主さんが「どこに行ったんだろう」と心配していたところ、1匹が道路に横たわっていたのを見つけました。おそらく車に轢かれて亡くなっていたようです。大きな傷は見当たらず、きれいな状態でしたが、痩せてガリガリだったそうです。飼い主さんはその夜、その亡骸を連れて帰宅し、翌朝午前中、仕事を休んで、火葬場に連れていかれたそうです。
私はその話を聞いて、胸が締め付けられる思いがしました。「その道路に横たわっていた猫は、ひょっとするとうちに来た子猫だったかもしれない」…。亡くなった子猫の短くはかないニャン生を想うと同時に、うちに来た子猫の強運にも感心しました。
猫たちは、生まれて1カ月を過ぎるころ、お母さん猫から離れて外の世界に放たれます。そのときの「サバイバル力」や「運」「めぐり合わせ」などを感じざるを得ませんでした。
同時に、地域猫のお母さん猫の子育てについても考えました。真夏には、蝉やコガネムシやバッタ、ヤモリなども食べていると思われますが、まだ6月だとそのような自然の食べものはあまりなく、過酷な状況です。昔は家屋にネズミがいて、猫たちはそれを食べて生きていました。猫が人間と同じ町で共生していたのです。しかし、家屋が清潔になるにつれてネズミがいなくなり、猫の食べるものが減少していきました。食べるものが無いのであれば、地域猫も保護して家に入れてあげるしかないのかもしれません。
今現在、車に轢かれた子猫のお母さん猫と、残った2匹の子猫について、保護に向けて努力が続いています。母猫はごはんをもらいに「シャーシャー」と言いながら近寄ってくるそうです。
◆小宮 みぎわ 獣医師/滋賀県近江八幡市「キャットクリニック ~犬も診ます~」代表。2003年より動物病院勤務。治療が困難な病気、慢性の病気などに対して、漢方治療や分子栄養学を取り入れた治療が有効な症例を経験し、これらの治療を積極的に行うため2019年4月に開院。慢性病のひとつである循環器病に関して、学会認定医を取得。