大津市馬場3丁目の銭湯「都湯」で飼われ、漫画にもなった雄ネコ「トタン」が5月中旬、5歳6カ月の生涯を終えた。店主が作ったトタンにちなむグッズは全国の銭湯ファンが購入、都湯へと足を運ぶきっかけになった。小さな銭湯のマスコットとして多くの風呂好きを招き入れたトタンとの別れを惜しむ声はSNS(交流サイト)でもあふれた。
店主の原俊樹さん(39)がトタンと出会ったのは2018年11月中旬だった。全国各地で休業中の銭湯を継承して復活させている「ゆとなみ社」の一員として都湯を再開し番台の仕事を始めた時、風呂釜のトタン屋根の上にいた子ネコを見つけた。頭部が八の字形の黒色模様で尻尾の先は白かった。「首をかしげていて、30秒くらい見つめ合いました」
翌月に男湯の屋根で再び発見すると、原さんは保護できないかと思い、地元の団体に相談した。獣医師に診察してもらったところ思わぬ一言を告げられる。「推定する誕生日が11月18日です」。都湯を再開した日だった。深い縁を感じ、ネコを発見した場所にちなみトタンと名付けた。
最初は銭湯の2階で飼った。子ネコを見ようと銭湯を訪れる人もいるほどだった。
都湯は開業当初は順風満帆とはいかず、数週間にわたって閑散としていた。原さんは「このままで経営は成り立つのか」と不安を抱いた。ただ、トタンとともに食事し、眠ると心が落ち着き、平常心でいられた。
原さんにとって、トタンは精神的支柱であり、銭湯経営を軌道に乗せる立役者にもなった。
トタンのイラストを印刷したTシャツは都湯のオンラインストアで関西や関東から注文が入り、後に購入者が客として都湯へと訪れた。また、トタンを「デジタル番台」と称してX(旧ツイッター)で動画や写真を日々欠かさず投稿し、評判を呼んだ。
「トタンがいなければ、僕は膳所を去り違う道を歩んでいたと思う」。原さんが回顧する。
ゆとなみ社の経営する銭湯が増え始め、原さんも他の番台を任されそうになっていた。だが、当時住んでいた大阪からの通いをやめ、トタンと一緒に住むために膳所でマンションを借りた。原さんが都湯の運営を本格的に託されるきっかけになった。
都湯に常連が定着し、全国からもファンが訪れるようになった。さらに、原さんが企画するイベントも成功を重ねた。その直後、新型コロナウイルスが猛威を振るった。自主休業を余儀なくされ、収束の見えない現状に銭湯をやめて地元の大阪で転職しようと考えた。
仲間に打ち明けようとしていた前日に電話がかかった。
「トタンくんを漫画化しませんか」
以前、原さんが飲み会で知り合った出版社「ミシマ社」の担当者と漫画家のスケラッコさんから提案を受けた。原さんは「せめて漫画の世界の中だけでも日常を描いてもらえたら」と快諾した。
漫画の内容は、主人公のトタンが「みゃーこ湯」を経営し、ネコたちをもてなす。原さんは見習いとしてサポートする。「現実の世界も同じ感じです」と笑う。生活はトタンを中心に回っていた。
トタンの異変に気付いたのは3年前。後ろ足を引きずるようなそぶりを見せ、触れると痛がった。ジャンプ力も落ち、キャットタワーを登ることも冷蔵庫に上がることもできなくなった。
23年4月にはっきりと症状が現れる。トタンが再び体調を崩し、獣医師からステロイドを投与された。帰宅後に目を見開いて息が切れ切れになった。大動脈弁逆流という先天性の病気だと判明した。発症すると2、3年の寿命という。
原さんは、トタンを知る人たちに病名を伝えようか悩んだ。ただ、万が一に不幸が起きた場合に動揺させてしまうのも申し訳ないと思いXで報告した。自身の心を整えるためでもあった。
体重はピーク時の4.3キロから2.9キロまで落ち、足は骨だけのように細くなった。高さ40センチのベッドにも上れなくなり、原さんがそっと抱いた。Xの投稿も自然と動画が減った。
今春、妻の亮子さん(48)と数時間おきに番台を交代し、つきっきりでトタンを看病した。だが、5月14日夕にトタンの体が硬直し、けいれんを起こした。ややあって、原さんが名前を呼びかけると落ち着いた様子で尻尾を振り、動かなくなった。
翌日、原さんがXでトタンの死を報告すると「よく頑張った!」「大好きでした」と別れを惜しむ声や闘病をねぎらうコメントが寄せられた。
トタンと過ごした5年半を原さんは「平凡な日常がいかに貴重かを教えてくれた」と振り返る。自由気ままに生きる姿に癒やされ、励まされ続けた。「その日常を、僕は銭湯で多くの人に味わってもらいたい」