今年1月、滋賀県高島市の救護施設で、入居者のキャリーバッグの中から死後数年が経過した女性の遺体が見つかった。死体遺棄の罪に問われたのは、女性の夫(84)と息子(53)。「捕まるのが怖かった」。困窮し、すみかを失いながら、公的な支援を求めるすべを知らなかった父子は家族の死を隠し続けた。
日差しにぬくもりを感じるようになってきた3月22日の大津地裁。小柄な夫は姿を現すなり、落ち着かないように廷内を見回した。続いて息子が入廷する。こちらは長身で、ずっと一点を見据えている。
2人は、死亡時に83歳だった彼女の遺体をキャリーバッグに入れたまま、3年近く、大阪市内のホテルや公園で生活した。やがて区役所の職員に声をかけられ、高島市の救護施設に住むことになる。生活保護の申請手続きにあたり、施設長が妻の所在を確認したところ、2人は遺体をキャリーバッグで運んでいることを打ち明けた。
元々は3人で大阪市内のマンションに住んでいた。5年前、父子が仕事を失ったことなどから、ローンの支払いが滞り、退去を余儀なくされる。その後、親戚から金を借りてビジネスホテルに宿泊し、金が尽きれば公園やバス停で寝泊まりするという生活を送った。
そんな中、妻は衰弱していった。この時のことを夫は「3日間ぐらい寝たまましゃべらなくなった」と振り返る。2020年12月25日、ホテルの一室で静かに息を引き取った。夫は長年連れ添った妻の死を悲しんだが、2人はその事実を隠し通すことに決めた。
「母は病院嫌いだった。救護措置をとらなかったから、保護責任者遺棄になってしまうと思った」(息子)
「とにかく頭の中は捕まるのが怖いのと葬儀の金がないのと、そればっかりだった」(夫)
翌年4月、異臭を注意されてホテルから出るよう迫られた2人は、遺体を運び出し、近くの公園でキャリーバッグに詰め込んだ。時刻は午前1時。周囲のマンションの明かりは消え、公園は闇に包まれていた。
許されない行為だとは分かっていたという。だが、2人は逮捕されることを恐れ、誰にも告げなかった。「言った方がどれだけ楽だったか。逃げてばかりで本当につらかった」。夫は後悔を口にした。
裁判官が問いただす。「遺体をほったらかしにするんじゃなくて、自分たちが行くところにいつも連れて行った。亡くなっても大事にしていたんだろうけど、埋葬もしてもらえないなんて望んでいなかったんじゃないか」。夫はうなだれた。「妻には最期に十分食べさせてやることができなかった。ちゃんと供養してやりたい」
一方、息子は「父は死んだ」などと不可解な発言を繰り返した。過酷な生活が精神に影響を及ぼしたのか。裁判官から最後に言いたいことはあるかと問われ、夫は息子の行く末を心配した。
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4月17日。社会復帰後の居住地の調整に時間がかかる息子に先立って、夫に判決が言い渡された。主文は懲役1年6月、執行猶予3年。「社会内で妻の供養をしながら更生を図るのが適切」と判断された。
「こういうことになるまでに人に相談してほしかった。これからは困った時には助けを求めてほしい」。裁判官の言葉に、夫は大きくうなずいていた。