『ブギウギ』で注目されるOSK 幾度も“解散”の危機…「どこよりも団結力のある劇団なんです」娘役OG・妃那マリカが語る“OSK愛”

北村 守康 北村 守康

NHK朝の連続ドラマ『ブギウギ』のヒロイン「福来スズ子」が所属する梅丸少女歌劇団(USK)は、1922年に創設された「松竹楽劇部」、現在の「OSK日本歌劇団」(以降OSK)がモデルで、いま再びOSKに注目が集まっている。かつては「歌の宝塚、ダンスのOSK」と称され人気を二分したが、時代の流れに乗った宝塚歌劇団が確固たる現在の地位を築いたのに対し、OSKは幾度もの解散の危機を乗り越えながらも昨年創立100周年を迎えた。

「こうしてOSKが注目されるのはOGとして誇らしいです。OSKはどこよりも団結力のある劇団なんですよ」と目を輝かせるのは、OSK娘役OGの妃那(きさな)マリカさん。

妃那さんは横浜市出身で2008年に初舞台を踏み、2013年に退団するまで娘役としてOSKの舞台で歌い踊った。退団後は、関西を中心にOSK仕込みの歌声とダンスでミュージカル、演劇など舞台活動はもとより、モデルやタレント、MCなど表現者としての資質を生かし幅広い活動をしている。

『ブギウギ』の第3週4週の放送回では、いわゆる「桃色争議」がテーマとなった。不況により団員の賃金削減と一部団員の解雇をUSK経営陣が決行しようとすると、団員はストライキで対抗する。団員の意向は受け入れられるものの、交換条件としてストライキを主導した主要団員が退団で責任をとり騒動は決着する。OSKを象徴的に表しているシーンだったと妃那さんは振り返る。

「ご存じのようにOSKはこれまで何度も身売りに出され、存続を危ぶまれたこともありました。それだけに舞台に立てることの有難さを強く感じられる風土があると思うんです。現役団員はもちろん、OGもその気持ちは同じ。劇団への思いは強く『OSKのためになるなら一肌脱ぐ』そんな人たちも多いと思います。あのシーンをテレビで見ながら、あの頃(昭和初期)もいまも団員の気持ちは一緒なんだ、時代を越えて大先輩と繋がることができた、そんな気持ちになりました。退団して今年で10年が経ちましたが、OSKとの関係性は変わらず、私にとって家族同然です」

そんな“OSK愛”溢れる妃那さんだが、高校3年の進路を選ぶ際に受験したのは宝塚歌劇団だった。

「レビューがしたくて受験したのですが不合格でした。年齢的に宝塚はもう受験できません。一度は舞台の仕事を諦めようとしましたが諦めがつかず、目標のないままダンスやバレエ、歌のレッスンを続ける日々を過ごしていました。そんな時、(ダンスの)先生にOSKのことを教えてもらい、(OSK公演の)DVDを見て、『レビューができる。ここに行きたい』と強く思いました」

翌年、OSKを受験そして見事合格。84期生として2年間の研修期間を経て、2008年に大阪松竹座『春のおどり』で初舞台に立つ。研修生になって2年目、経営悪化によりOSKが民事再生法の手続きに入る。2年間の厳しいレッスンが水の泡になることも頭を過っただけに、初舞台に立てた時の喜びはひとしおだった。しかしOSKの娘役としてのキャリアは5年足らずで終えてしまう。

舞台での華やかな姿とは裏腹に経済活動としてみた場合、難しい面もある。不完全燃焼ではあったが辞めざるを得なかった。しかしその決断が妃那さんの舞台人生のマイナスになることはなかった。退団したことでOSKの枠を越えた新たなパフォーマンス技術と人脈が得られたとともに、プロの舞台人として育ててくれたOSKへの思いがより一層深まった。

 

演者としてだけでなく、自身が出演する舞台の構成や選曲からチラシのデザインイメージ、さらには舞踊家や大衆演劇の舞台人とのコラボ企画まで、プロデュースの才能も発揮している。そして今年6月には自身の会社を設立した。

「体力には自信があって、これまで病気らしい病気をしたことはなかったのですが、今年の初夏に入院することになって。『人生は何が起こるか分からない。やりたいことをやろう』そんな思いで、パーティーの余興や舞台の企画・制作をする会社を入院中に立ち上げたんです。私のようにOSKで完全燃焼できなかったOGたちの活動の場になれたらいいですし、OGの活動を通してOSKに興味を持っていただければ、こんなうれしいことはありません」

と妃那さんの“OSK愛”はとどまる所を知らない。

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▽妃那マリカ 公式サイト
https://mrc-link.my.canva.site/mrclinkactor

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