ダウン症のモデル・斉藤菜桜さん 母親が娘と“同じ夢”を追いかけるようになるまで…「19年前の私に、何泣いてんのよって言いたい」

古川 諭香 古川 諭香

21番目の染色体が通常より1本多くなることが原因で発症するといわれている、ダウン症。そんな病気と共に生きながら、モデル業を楽しんでいる女の子がいる。

それが斉藤菜桜さん(19)。事業所で働きながらモデル活動をする菜桜さんは、多くの人を笑顔にしている。

我が子がダウン症であることが受け入れられなかった

19年前の3月11日、菜桜さんはこの世に生を受けた。母・由美さんにとっては、3人目となる出産。タオルでぐるぐる巻きにした我が子を渡され、これまでの出産とは違うと感じていると、医師から染色体異常の可能性があると告げられた。

検査は別の大きな病院でしかできず、結果が出るまでには1カ月ほど待つ必要があることを聞かされ、呆然とした由美さんはネットで染色体異常の病気を検索。ダウン症という言葉が多く表れ、ショックを受けた。

今ほどSNSが盛んでなく、当事者の声を聞くことが難しかった当時、目に飛び込んできたのはダウン症にまつわるマイナスな医学知見ばかり。

どうしよう。涙しか出ない。元気な赤ちゃんの声が飛び交う産婦人科の病室で、由美さんはそう心が沈んだ。

菜桜さんはミルクを飲めずに吐いてしまうため、生後3日目に静岡県立こども病院へ転院。そこでは、ダウン症の合併症で食道が胃に繋がっていないことや心臓に異常があることが判明。胃ろうを作り、心臓の手術を受けることになった。

「3日間、ミルクを飲まずに生きていたんですよ。すごく生命力がある子なんだと思いました」

だが、「この子は生きたいと思っている」という前向きな考えはできなかった。娘がダウン症であるという事実は受け入れがたく、激しい葛藤があった。

「面会に行くのも嫌でした。行けば、自分の子がダウン症だという現実に引き戻されるから。写真を撮ろうとも思えませんでした」

だが、生後2カ月の菜桜さんを抱っこした時、心境が少し変わったそう。

「『私はここにいるよ』『私を見て』みたいな顔をして、キラキラ笑っていて。その時、ごめんねと初めて思い、この子に謝りました」

「このままの我が子がいい」と障害を受け入れられるようになって

生後3カ月半の頃、菜桜さんは度重なる手術がようやく落ち着き、自宅へ戻った。一緒に暮らし始めると、菜桜さんに対する愛情はさらに募っていったという。

「でも、ふとした瞬間にダウン症の顔が出ると、また落ち込んで。我が子だからかわいいけれど、ダウン症であるという事実がなかなか受け入れられませんでした」

だが、想いは少しずつ変化していき、菜桜さんが幼稚園に入った頃にはダウン症を受け入れなくてもいいのだと思え、心が少し楽になったそう。

「私は多分、一生受け入れられないんだろうな。でも、それはそれでいいのかもしれないと思えたんです」

その後、由美さんの考えはさらに変化していく。菜桜さんが小学校高学年になった時、他の親御さんと「普通だったらいいのに」と話していた時、自分の言葉に違和感を覚えたのだ。

「その言葉を言った時、あれ?でも私、このままの菜桜ちゃんがいいなって。そう思った時、ああ、受け入れられたんだと感じました」

流動食ではなく、常食を食べる喜びを味わってほしい

これまでに菜桜さんが受けた手術は、全40回以上。特に大変だったのは、胃と繋がっていない食道の治療。「食道延長術」という手術を受けたが、皮膚がくっつきにくい体質だったため、何度も食道が元の状態に戻ってしまい、同じ手術を繰り返した。

現在、菜桜さんの食道は動いていない。食道と胃の接続部分である胃の噴門部は通常のように閉じたり開いたりはせず、開いたままの状態だ。

「人間が食事をすると食道の蠕動運動で胃の噴門部が開き、食べ物が入って閉じますが、菜桜の場合は、ご飯が食道の入り口の噴門部で止まってしまうんです」

そのため、食事が詰まりやすく、こまめな水分補給が必要。由美さんは少しでも我が子が食事を楽しめるよう、外食時には好きなデザートまでたどり着けないことを考慮し、あえてデザートを先に食べさせるなどの配慮をしている。

「支援学校ではひとりだけ柔らかい食事を作ってもらえた時期もありましたが、そういう食事だけだと行ける場所も限られてしまうので、常食をいかに自分でコントロールして食べるかが課題となりました」

そこで、由美さんはハサミを持たせ、給食を細かく切ってもらうなどしたそう。だが、給食の時間は菜桜さんにとっても悩む時間に。周りと違って食べ物が詰まったり、おかわりができなかったりすることにモヤモヤして教室を飛び出したこともあったという。

「詰まることは分かっているけれど、食べたい気持ちが勝って、結局は詰まって苦しい思いをするんです。『流動食をあげれば詰まる苦しさがない』と言われたこともありますが、食べたいものを食べられる範囲で食べてもらい、食べる喜びを感じてほしいんです」

モデル業を通して2人で同じ夢を追いかけられるように

二人三脚で病気と向き合ってきた菜桜さん親子。そんな2人がモデル業に興味を持ったのは、菜桜さんが9歳の頃。公益財団法人 日本ダウン症協会が世界ダウン症の日である3月21日にダウン症の人たちによるファッションショーを開催すべく、モデルを募っていたのだ。

応募をすると見事モデルに選ばれ、ランウエーを歩くことに。初舞台にも関わらず、菜桜さんは全く緊張せず、ステージ上から観客に手を振り、ショーを楽しんだ。そして、その日のビデオを繰り返し見て、「また出たい」と意思表示をしたのだ。

それから時は流れ、菜桜さんが14歳の頃、友人から地元で開かれる障害者のファッションショーに出ないかとの誘いが。人生2度目のファッションショーでは障害者のモデルスクールを開く講師と出会え、ウォーキングのレッスンを受けるようになった。

菜桜さんがモデルの仕事を始めたことで、由美さんの日常も変化。

「あの子の夢をサポートして、2人で夢を追いかけることができるようになった。色々な経験を一緒にさせてもらえて、本当に感謝しています」

ちなみに、これまでしてきた仕事の中で菜桜さんの心に残っているのは24時間テレビに出たことと、「TGC teen 2021 Summer(東京ガールズコレクションティーン)」に出演したことなのだそう。

「みんなが笑顔になれるモデルになりたい」。そう言い続けている菜桜さんの夢は海外のファッションショーに出演することと、大好きな藤田ニコルさんと同じステージに立つことだ。

「みんなに障害を理解してもらうのは、なかなか難しい。でも、障害があるから夢をあきらめなきゃいけないって絶対にない。みんな同じ人間なんですから」

そう話す由美さんはSNSを通して、同じくダウン症の子を持つ親から「未来が明るくなった」「うちの子も何かできるかもしれない」との前向きなDMを貰うたび、嬉しい気持ちになる。

また、最近では菜桜さんと同世代の若者から「菜桜さんの姿を見て、自分も夢にチャレンジしてみようと思った」という連絡も貰えるようになり、人の役に立てていることに喜びを感じているそう。

「19年前の私に、あんた何泣いてんのよって言いたい。菜桜を産んでよかった。この子の母親になれてよかった。あの時の埋め合わせはできないかもしれないけれど、それ以上の愛情を、これからも注いでいきたいです」

内側から溢れるキラキラオーラで見る人の心を笑顔にする菜桜さんと、ありのままの娘を心から愛せるようになった由美さん。2人の幸せなチャレンジは、これからも続いていく。

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