このブログでも一度紹介した岡山市の日本酒バル「解放区」を地元の友人と訪ねた。前回はボラのヘソという珍味を食した話を書いた。今回もまた期待に違わぬ酒、味、人との出会いに恵まれ、至福の時間を過ごすことができた。
「解放区」のメニューには若いご夫婦のこだわりがぎっしり詰まっている。吟味した先から直接仕入れる海の幸、野菜などの食材。燗酒向きと冷酒向きに分類して毎日それぞれ15種類ずつほど用意する全国の銘酒。
この日は黒板に女将が手書きで書いた冷酒リストの中の「イリヤソントン」というカタカナにまず目が釘付けになった。飲んだことはもちろん、見たことも聞いたこともない。長野県のお酒だという。早速注文すると出てきたのは1500mlの容量のグリーンのボトル。形もいわゆる日本酒の一升瓶タイプではなく、ワインボトルを2倍ほどに膨らませたようないでたちだ。それもそのはず、このお酒を造っているのは長野県小布施町にある有名なワイン製造所、小布施ワイナリーなのだ。
ラベルの裏を見た。「イリヤソントン」とはフランス語で「IL Y A 100 ANS」と書く。「100年前」というような意味らしい。この名前には100年前に存在していた酵母を復活させ、ワイナリーのスタッフがワイン作りの手が空くわずかな時期を利用して作った趣味の酒であること、100年前のスペイン風邪の疫禍を乗り越えて人類は生き続けてきたではないか…コロナ禍に悩まされる現代へのそんなメッセージも込められているのだという。当然ながら出荷量は極限られており、滅多にお目にかかることがないのも当然の一本だった。
この日は他に「元平Yellow」、私の故郷の町の酒「大正の鶴(落花流水)」、山形の「上喜元Mille neige」など、それぞれに作り手のこだわりがある7銘柄を楽しんだ。
一方の肴で感心させられたのは、一見キャベツの浅漬けと釜揚げシラスをあえた一皿。ところがこのキャベツの浅漬けに驚くようなこだわりが隠されていた。日本酒の仕込み方法の中でも最も古いとされる菩提酛(ぼだいもと)をいまも取り入れている岡山県真庭市の「御前酒」の蔵元を訪ね、「菩提酛」の過程で使う乳酸菌を含んだそやし水を譲り受け、それにキャベツを漬けてあるというのだ。
続いて出てきた「手羽先の唐揚げ」もただ者ではなかった。どこにでもあるメニューだが、皿に盛られてきたのは手羽先の肉の部分は半分ほどで、後は2本の細い骨がむき出しになった形のものを揚げてある。ポイントはその食べやすさ。普通の手羽先は両手を使って骨を外して、油で汚れた指先をおしぼりで拭って、という後始末が必須だが、むき出しの骨の部分をつかんで口に運べば、指先を汚すことなく皮はカリッと、中はジューシーに絶妙の揚げ加減の手羽先をいただくことができ、手元の邪魔にならない。
ほかにこのわた、かきフライ、おでん、たいみそ…等々、これまた凝った陶器の皿で供される料理を満喫した。
最後に待っていたのは想定外の出会いだった。主人と女将の知り合いらしい若い夫婦が入って来てカウンターに座った。手土産に日本酒のボトルを差し出している。話を聞くと夫婦で福島県の古殿町という人口5000人足らずの小さな町に移住し、その町にある豊國酒造で蔵人として働くことに決めたのだという。持参したのは10年ほど前に新しく産み出され、いまは豊國酒造の看板になっている「一歩己(いぶき)」という銘柄のボトルだった。
若い夫婦で踏み出す人生の新しい一歩。なんともおしゃれな手土産に心癒されて店を出た。