筆者はたまにカラオケに行くのですが、最近ハマっているのは大学校歌です。それぞれの大学の校歌は個性的ですし、大学カラーが垣間見られる点は実に興味深いものです。筆者もまだ探索中の身ですが、大学校歌の魅力の一端を紹介したいと思います。
聞く機会はある? ない? な大学校歌
そもそも、大学校歌を聞く機会はあるでしょうか。運動部ならいざ知らず、一般学生だと学生生活の中で入学式と卒業式しか聞く機会がないかもしれません。
しかし、中には学外で大学校歌を流しているスポットがあります。それが京王電鉄の明大前駅です。明大前駅は明治大学和泉キャンパスの最寄駅ということもあり、列車接近メロディに明治大学校歌「白雲なびく駿河台」の一節が使われています。そもそも明治大学校歌は早稲田大学校歌と並び、全国的にも大変有名な校歌です。
明治大学、関西学院大学、関西大学校歌の作曲者はあの大作曲家
筆者の母校は関西大学ですが、明治大学校歌を聞いた時に「あれっ、関西大学学歌(校歌)と似ているのでは」と思いました。特に最後の箇所、「おお明治」と「関西大学」を繰り返すあたりは雰囲気が似ています。
一方、関西大学と同じ関関同立である関西学院大学校歌「空の翼」も聞きました。こちらは関西大学と学風が異なるせいか、雰囲気が異なりました。関西学院のスクールモットー「Mastery for Service」が歌詞に入っているせいかもしれません。
さて、筆者の感想は「半分はアタリ、半分はハズレ」といった感じです。実は3校とも作曲者は作曲家の山田耕筰なのです。山田耕筰といえば「赤とんぼ」「待ちぼうけ」の作曲者でも知られ、教科書にも登場する日本を代表する作曲家です。
それぞれの校歌の制定年は明治大学が1920年、関西学院大学は1933年、関西大学は1922年の大学令による大学の昇格後に制定されました。ちょうど山田耕筰がバリバリ働いていた時期に重なります。
ちなみに明治大学は2020年に校歌制定100周年を記念して、10月28日を「校歌の日」としました。これは1920年10月28日に明治大学ハーモニカソサエティーの演奏会にて校歌が公の場で初演されたことに由来します。
山田耕筰は関西学院のOBだった?
それでは、3校はどのような経緯で山田耕筰に作曲を依頼したのでしょうか。明治大学のケースでは校歌作成に尽力した学生、牛尾哲造の強い願いを山田耕筰が受けいれました。なかなか歌詞と曲が合わず苦戦しましたが、何とか校歌が完成。山田耕筰は自ら指揮棒をとり、歌唱指導をしたとのことです。
関西大学は1922年以前にも校歌は存在しましたが、総理事の山岡順太郎が唱える「学の実化」を反映させた新校歌を制定することになりました。そこで、作詞を担当した服部嘉香教授の知人である山田耕筰に白羽の矢が立ったのです。山田耕筰は作曲の過程で「実化」を「じつげ」と歌うように指導しました。つまり関西大学の理念である「学の実化」にも山田耕筰の影響が見られるのです。
3校の中で最も山田耕筰と密接な関係にあるのが関西学院大学です。実は山田耕筰は関西学院普通学部(現在の中学部・高等部)に籍を置いていたのです。そのような経緯もあり、学生会がOBである山田耕筰に作曲を依頼。北原白秋が作詞を担当し、「空の翼」が誕生しました。発表会では山田耕筰自身が指揮棒を振り、全学生の大合唱だったそうです。
このように、同じ作曲者でありながら、校歌の誕生には興味深いエピソードが隠されていたのです。他校の校歌にも興味深いエピソードはありますが、それは追々。