関西に住んでいると、車両の中ほどにある扉から乗って前から降りる「後ろ乗り前降り」の印象が強い路線バス。全国どこでもそうと思いきや、実は「前乗り後ろ降り」のところも結構ある。比較的統一されている鉄道と違ってなぜ、バラバラなのだろうか。調べてみると、地域それぞれの事情や背景など意外な真実が見えてきた。
1903(明治36)年に堀川中立売と七条駅、祇園間で乗合自動車の運行が始まり、日本の路線バス発祥の地とされる京都。京都市交通局によると、戦前は車掌がバスに乗って料金を回収し、乗降口は後扉だけだった。戦後、運転手のみの「ワンマンカー」が増え始め、51年、運賃収受を確実にするため均一区間で、いったんは「前乗り後ろ降り」を採用した。
ところが整理券発行機付き車両を導入した70年、距離に応じて運賃が変動する路線で「後ろ乗り前降り」に。その後、両方式が混在したが、市民や利用者から「分かりにくい」との声が上がり、72年に現在の「後ろ乗り前降り」に統一した、という。
関西では、大阪市交通局から4年前に民営化された大阪シティバスや神戸市営バスも「後ろ乗り前降り」で運行している。この流れを形作ったのは、全国で先駆的にバス事業を展開してきた大阪だ。
1980年に発刊された大阪市交通局75年史によると、全国初となるワンマンカーの運転営業を51年に開始した際、運転席横に料金箱と釣銭機を取り付け、前後扉があったことが記されており、戦後の一時期は、今とは逆の「前乗り後ろ降り」を採用していたことがうかがえる。
だが、京都より6年早い64年に整理券発行機を備え付けたのと同時に「画期的な『後乗り、前降り』による料金後払い方式を実施した」と、75年史は誇らしげに紹介している。3年後の67年にはワンマンカー全車が「後ろ乗り前降り」に切り替えられた。
西日本の主要都市に目を移すと、福岡市内や広島市内を走る主要なバス会社も「後ろ乗り前降り」で、どうやら西日本ではこの方式がスタンダードと言えそうだ。運賃の支払いは降車時になるケースが多い。
ところが、関東に行くと趣が変わる。東京23区内を走る都営バスは「前乗り後ろ降り」で、乗車時に均一運賃を支払う。東京都交通局によると、この方式を導入したのは65年。京都などと同様、ワンマンカー導入に合わせて「前乗り後ろ降り」に変更した。担当者は「なぜ前乗りにしたのか理由は分からないが、先に都内でワンマンカーを取り入れていた民間事業者のやり方に合わせたようです」。
均一運賃区間が基本の横浜市や名古屋市の市営バスも、東京都営バスと同じ乗降方式を取っている。が、ここで一つの疑問が浮かぶ。なぜ関東などの都市部では「前乗り後ろ降り」の運賃先払いを継続し、関西では「後ろ乗り前降り」の後払いに戻したのか。
「関西人の気質もあるのでは。お金はサービスを受けてから払うという文化がありますでしょ」。京都市交通局のある職員は、冗談交じりに語る。インターネット上では「先払いはお上の権力を感じる」といった関西の反権力精神に根拠を求める言説まで飛び交う。
「後ろ乗り前降り」が幅をきかす関西。だが異色の地がある。兵庫県伊丹市だ。市営バスは東京のように「前乗り後ろ降り」の運賃先払い方式。バスに乗っていると、途中で「このバスは前乗り後ろ降りになっております」と、丁寧に車内アナウンスまで入る。ついこの秋まで東京に単身赴任をしていて都営バスに乗り慣れた記者からすると、ここは本当に関西なのか、と妙な感覚に陥った。
伊丹市交通局の松山正孝参事は「昔から前乗り後ろ降りです。いつからなのかは分かりません」。では、なぜ? 松山参事は「推測でしかないんですが」と前置きした上で伊丹特有の地域事情やバス路線の特徴を挙げた。
(1)市域が狭く、阪急伊丹やJR伊丹、阪急塚口を目的地に片道20~30分で着く短い 路線が基本。
(2)全路線が均一運賃区間。
(3)終点までの間に大きな駅や施設がなく、乗客の入れ替わりが少ない。
(4)駅に着いた時に大勢の人が一気に降りるので、後払いにすると時間がかかる。
なるほど、合理的な気はする。ただ、ややこしいのは営業エリアが競合する他社のバスとの兼ね合い。例えば、同じ阪急伊丹駅に乗り入れる阪急バスは「後ろ乗り前降り」で、伊丹市営と逆だ。
尼崎市内にある阪急塚口駅ではこの二つに加えて阪神バスがある。阪神バスは、伊丹市バスと同様に「前乗り後ろ降り」だった旧尼崎市営バスの運行を委譲された尼崎市内の路線に限り従来の乗り方を維持しているが、それ以外の路線は「後ろ乗り前降り」。伊丹と尼崎の謎は深く、ここまでくると、頭がこんがらがってくる。
「市内の利用客は慣れているが、市外の利用客は時々乗り方を間違えておられるようです」と、伊丹市交通局の松山参事は明かす。局内では過去にダイヤ改正に合わせて「後ろ乗り前降り」への変更が議論されたこともあったが、乗客の混乱を招く恐れがある上、乗降方式の変更に伴うバス停の改良に費用がかかるため見送られたという。
京都市交通局は3年前、観光客の急増に伴う車内混雑緩和のため、一部の市バスで47年ぶりに「前乗り後ろ降り」を復活させ、全系統に拡大する方針を打ち出した。新型コロナウイルスに伴う乗客減やバス停の改修費用がネックになり現時点では見送られているものの、全面導入となれば、伊丹市バスと同様に関西では少数派となり、ひょっとしたら「東」にくみしたとみられる可能性も捨てきれない。
「一概に西はこう、東はこうと言い切れるものではない」。公益社団法人日本バス協会(東京都)に聞くと、安易な色分けにくぎを刺された。バス保有台数で国内最大級の規模とされる神奈川中央交通(本社・神奈川県平塚市)は近年、「中(後ろ)乗り前降り」に変更しているほか、札幌市や仙台市では「後乗り前降り」の方式を取っている。
同協会が基本的な考え方として挙げるのが、均一料金のバスでは前乗り先払いで、距離に応じて運賃が変動するバスは後払い。後ろ乗りにするか前乗りにするかは、それぞれの事業者が土地柄や利用者のニーズに即して最適な形を選択しているのではないか、という。過去をさかのぼれば、線路敷設など大きな資本が必要だった鉄道と違い、バスは個人の経営者が路線を開業し、事業合併するなどして発展してきた歴史があり、画一的なルールがなじみにくい背景もあるようだ。
前から乗るか、後ろから乗るか-。バスの乗り方一つで、多様な地域性や気質が見えてくる。どちらが良いのか、正解もまたさまざまだが、日本バス協会の担当者が私見を交えて一言。
「安全面から言うと、運転手に近い前扉から乗った方が、乗客を挟んだりするリスクは少ないんですが…」