新型コロナが流行して以来、座席数を減らしたり、出演者間の距離を空けるなど感染拡大防止の対策を迫られていた劇場、ホールなどのイベント施設。
吉本興業のシンボル的な劇場であるなんばグランド花月(大阪市中央区)でもそれは例外でなく、もっとも厳しい制限が敷かれていた時期には全858席のうちわずか112席しか観客を収容できず、出演者の間にも透明のアクリル板を立てて漫才を披露していた。
掛け合いや間合いを重要視する漫才コンビたちにとって、相方との間を遮るアクリル板の存在は致命的。その後、状況の改善や行政の指導方針の変更にともない徐々に撤去されていったのだが、そんな中なぜかアクリル板にこだわり、最後までそれを使用し続けた漫才コンビがいた。それは今年結成30周年を迎えた、矢野・兵動。
彼らはなぜアクリル板にこだわったのだろうか? 11月1日、その謎に迫るべく僕はなんばグランド花月、吉本興業大阪本部を訪れた。
11月1日は従来の制限が大幅に緩和され、約8割の観客収容が始まった日…そして矢野・兵動の漫才から、実に5カ月ぶりにアクリル板が撤去された日だ。
漫才を観た上で矢野・兵動のお二人に(感染予防のためお一人ずつ)お話をうかがった。まずは矢野勝也さん。
聞き手…中将タカノリ(以下「中将」)、菜つ美(「半熟BLOOD」ボーカル、兄はお笑いコンビ「ホテル」の橋本大祐)
中将:はじめ舞台にアクリル板が導入された時はどう思われましたか?
矢野:漫才みたいな仕事にまでアクリル板が必要になるとは思いもしませんでした。空間を分けることで、我々の漫才が別のものになってしまうんじゃないかという抵抗感がありましたね。
でも、しばらく続けるとアクリル板越しに見る相方の姿が面白く感じてきたんですよ。これまで当たり前に見ていたものが「こいつ何言ってんねん」っていちいち面白く感じるようになってきて、自分も本気でツッコめてることに気付いたんです。音の聴こえ方も変わってくるので、アイコンタクトを取ることも増えて新鮮でしたね。
中将:使ってみたらまんざら悪くなかったんですね(笑)。最後までアクリル板を残した理由もそのあたりなんでしょうか。
矢野:早い時期に会社から「もう外してもいいですよ」って言われたんですけど、普通の漫才はいつでもできるし我々はしばらくこのままやろうということになったんです。蓋をあけたら我々以外、全員外してたのにはびっくりしましたけど(笑)。コンビで平均70歳くらいになる平和ラッパ・梅乃ハッパさんまで外してるから「あんたらが一番アクリル板せなあかんやろ!」って(笑)。
中将:今日久しぶりに普通に漫才をやってみていかがでしたか?
矢野:アクリル板がないしお客さんの数も緩和されたんで全然違いましたね。「俺ら、前はこんな感じでやってたんやな」と。やっぱり普通にやれるっていいもんだと思いました。
菜つ美:アクリル板がないのにお2人が自然にソーシャルディスタンスを保っておられるなと感じました。
矢野:お互い確認し合ってそうなってるわけではないけど、僕はそのほうが観てる人が不快に感じないと思うんですよ。
菜つ美:30年一緒にやっておられるからこその阿吽の呼吸なんですね。長年一緒にコンビを続ける上で大切なことってなんでしょうか?
矢野:あまりプライベートに入り込まないことでしょうか。お互いそれぞれがやってることを詮索しないし干渉もしません。男と女ならケンカしてもセックスしたら仲直りできるかもしれませんけど、僕らはセックスできませんからね(笑)。あらかじめケンカにならないよう、ほど良い距離感を保つよう心掛けています。
中将:「矢野・兵動」としての今後の抱負をお聞かせください。
矢野:節目の年でありながらコロナで何もできなかったので残念な気持ちはありますが、とにかくこれからもコツコツやっていくことが大事だと思っています。最終的にお客さんから「この人らが出てるから今日は安心や」って思われるような信頼のおける漫才コンビになりたいですね。
◇ ◇
続けて兵動大樹さんにお話をうかがった。
中将:はじめ舞台にアクリル板が導入された時はどう思われましたか?
兵動:アクリル板を入れる前に、無観客の時期があったんですよ。その時の違和感がとても大きかったので、アクリル板を入れてでも公演を再開できた時はとにかく嬉しかったですね。僕たちの漫才自体が元々そこまで密着するスタイルじゃないし、アクリル板にそこまで不自由は感じませんでした。
会社はけっこう寛大で、すぐアクリル板じゃなくてもフェイスシールドでもマウスシールドでもいいという方針になったんですよ。当日行ったらアクリル板は僕たちしかいなくてびっくりしましたが、これはコロナ禍でしか見られないスタイルなんで、1組くらいこんなコンビがいてもいいかなと思ってそのまま続けることにしました。
あと、出番前に舞台の暗転中にスタッフがアクリル板を設置しはじめるとお客さんは「何が始まるんや?」とざわつくんですよ。その後で僕たちが出ていったら緊張がとけてドーンとウケるんで、それに味をしめてしまったところもありますね(笑)。
中将:暗転中に道具がガラガラと運ばれてくるのってケーシー高峰さんかゼンジ―北京くらいしかいませんでしたもんね(笑)。今日久しぶりに普通に漫才をやってみていかがでしたか?
兵動:最近はアクリル板があるから、僕は舞台袖をまわって上手から出て行ってたんですよ。それが今日久しぶりに2人そろって下手から出ていけたんで新鮮でしたね。「元はこんなんやったなぁ」って思いながらやってました。
菜つ美:矢野さんにも同じことをうかがいましたが、アクリル板がなくても自然にソーシャルディスタンスがとれた漫才になってましたね。
兵動:僕は意識してましたね。間合いを見ながら「ちょっと離れよう」と思ったり。
菜つ美:矢野さんも意識してるとおっしゃってました。
兵動:相方はイキって言ってるだけかもしれませんよ(笑)。
菜つ美:(笑)。それぞれソロの活動もされていて絶妙な距離感のお2人ですが、長年一緒にコンビを続ける上で大切なことってなんでしょうか?
兵動:干渉しないことですかね。うちは特殊だと思いますけど、多少思うところがあってもお互いもう言葉には出しませんよね。若い頃はあーしてやこーしてやと言いましたけど、もう50歳になったら言って直るわけがないですからね(笑)。
中将:30周年やってこられたからこその重みがありますね(笑)。「矢野・兵動」としての今後の抱負をお聞かせください。
兵動:全然仕事が無いときも辞めるという選択肢がなかったので、あらためて「30周年か」って思うこともあまりないんですが、YouTubeや動画配信などどんどん新しいものを取り入れていきたいとは思っています。自分の寿命と芸人としての寿命が離れていたら地獄やと思うんです。そこを詰めていくためにも、表現者として求めてくれる人がいる環境を意識して作っていきたいと思っています。
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ふだん細かなことまでいちいちやり取りしないという矢野・兵動のお2人だが、個別にお話をうかがうとあらためてその以心伝心ぶりを知ることができた。孔子の言葉に、老成すれば「心の欲する所に従えども、矩を踰えず」というものがあるが、お2人もその30年の歴史の中で自由に振る舞ってもお互い心地よくすごせる術を見出しておられるのだろう。
みんなが打ちひしがれたコロナ禍にあってもあえてアクリル板を使った漫才で気概を見せ、令和のお笑いシーンに欠かせない存在となっている矢野・兵動。ぜひ今後も長くご活躍を続けていただきたい。