出産にもさまざまなドラマがあって、感動ばかりではない、出産は命がけで母子ともに死と隣り合わせですね。普通に産まれることが奇跡なんだということを痛感させられることもあるのではないでしょうか。実は、我が家の次男も生後1カ月で心臓の疾患「動脈管開存症」が見つかりました。今回は、病気発覚からのリアル体験を紹介しようと思います。
この心雑音は!?いきなりの緊急入院!
生後4日目、まだ母子ともに入院中の時でした。回診の小児科医が「うーん、ちょっと心臓に雑音があるね。まあそのうち消えるでしょ」と言うのです。いやいや、雑音?!そのうち消える? たまに聞くことですが、産まれたばかりの我が子のこととなるとこちらの心臓がドキドキでした。退院して数週間後の1カ月健診、心雑音のことなどまったく忘れていたところ、「うーん、雑音が少し大きくなってるね。何かしらの心疾患の可能性もあるので、すぐに病院を紹介しますから行ってください」との診察。
えっ!えーっっ!! 妊娠中も出産時もなんのトラブルもなく、病気と思われる症状も何ひとつなく普通に過ごしていたので、とにかくショックでした。
そのまた1週間後、「まあたいしたことない雑音だろう」と勝手に信じ込んで紹介された病院へ。
「あー、動脈管開存症ですね。この開き方だと手術が必要です。今日そのまま入院してくださいね」
ドウミャクカンカイゾンショウ? 即入院!? 上2人の子どもたちはどーすんだ!?
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【動脈管開存症とは】
動脈管とは、赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいる時に肺動脈から大動脈への抜け道になっている血管。赤ちゃんが生まれてから肺で呼吸をしはじめると、この抜け道は必要がなくなり、生後2~3週までに完全に閉じてしまいます.この動脈管が自然に閉じずに残っているものを動脈管開存症という。
この病気はもっとも多い先天性心疾患のひとつで、全体の5~10%を占めると言われている。動脈管開存症では、全身に流れるべき血液の一部が大動脈から肺動脈へ流れるため、肺や心臓(左心房・左心室)に負担がかかり、太く開いているほど流れる血液の量が多くなり、その負担は大きくなる。
※参考/日本小児科学会HP
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入院してすぐに小さい体にモニターをたくさんつながれ、ちょっと痛々しい姿に…抱っこも授乳もおそるおそるでした。
次男が起きている間はほとんど抱っこ、寝ている間や交代に来てくれる両親に1~2時間ほど任せて食事に行ったり仮眠を取ったり。夜は20時頃まで付添い、上2人がいるため、後ろ髪引かれる思いで看護師さんに託して帰る…。そんな毎日が約1カ月続きました。まあ夜はしっかり眠れたので、私自身体力的にははけっこう元気でしたが(笑)。
入院の間は心臓や血の流れを薬でコントロールし、手術に耐えられる体重になる7カ月くらいまで、退院して待つことになりました。
退院後はドキドキの日常
泣かせすぎたり風邪を引いたりすると心臓と肺に負担がかかるため、とにかく気を遣う毎日。泣きそうになるとすぐ抱っこしたり授乳したり、家事はそっちのけで次男に構いっきりの毎日でした。風邪も引かせられないので、外出は短時間の買い物のみ。まさに引きこもり生活でしたね(笑)。
しかし! 上2人(その当時は小3と小1)が学校から帰ってきたら次男ばかりというわけにいかない。
エルゴの新生児用パッドを入れて抱っこしながら夕飯を作ったり(冷凍物やボイル・チンで済むものばっかり)、宿題を見たりしていました。主人にはなるべく早く帰ってきてもらい、洗濯・掃除・子どもの風呂入れなどをやってもらっていました。気を張りすぎていたのか、この時の記憶があまりはっきりないんですよね…(苦笑)さて、生後7カ月になり、いよいよ手術の日を迎えます。
えっ!? 手術できませんでした?
この「動脈管開存症」の手術は
1)カテーテルを使用し、血管の中からコイル(バネのかたちをした閉鎖器具)をはめて閉じる
2)開胸して、開いた動脈管をヒモでしばる
…という2種類の方法があります。
脇の下からカテーテルを入れるため傷が残りにくく、胸を切る大手術の必要がないということから、1の方法でやることが決まりました。
ところが…いざやってみると、次男の動脈管の形がコイルと合わなかったため、手術がいったん中止になったのです。
管にたくさんつながれた次男を前に「すみません、今回はできませんでした」という主治医。全身麻酔だってハイリスクなこと、カテーテルとはいえ小さい身体に穴を開けて「できませんでした」!? その時は正直怒りがこみ上げ、思わず「じゃあどうするんですか!?」と声を荒げて詰め寄ってしまいました。
小さな胸を切る再手術
結局、また数日後に今度は胸を開いて動脈管をヒモでしばる手術をすることに。ひとつ良かったのは、「動脈管にコイルをはめた場合、それが滑り落ちてしまう可能性が0%ではない。しかしヒモでしばれば確実に安全に閉じることができる」というメリットがあったことでした。
身体が小さいので切る部分もしばる部分も小さく、そして心臓を直接さわる手術ではないので、2時間ほどで手術は無事終了しました。 胸に残った縦の切り傷があまりにも痛々しく、ICUでの面会時は涙、涙…。でも、主治医が「お母さん、これでもう安心ですよ。特に運動の制限も食事の制限も何もないから、退院後は普通に生活してください」と言ってくれたので、心底ホッとしたのを覚えています。
何度もお礼を言い、数日前に「どうするんですか!?」と悪態をついたことを心の中でひたすら謝ってました(汗)。術後1週間ほどで退院。
傷もほとんど分からないくらいキレイになったし、なにより思いっ切り泣いても動いても気を遣わなくていいことが嬉しかったですね。今ではすっかりやんちゃで元気いっぱいかけずり回る「魔の2歳児」と化しています(笑)。
周囲の助けがなければ乗り越えられなかった
2回にわたる入院中、家のことは双方の両親頼み。日中病院で私と数時間交代してくれたり、上2人の子どもが学童から帰宅後~主人が帰るまでの世話・週末の習い事の送迎など…本当に頼りっぱなしでした。精神的に参って心が折れそうなときもありましたが、そんな時は友人とのメールやLINEのやり取りが大きな支えになりました。
そして誰より一番頑張ったのは次男。小さな身体で痛みに耐え、夜中は家族のいない状態でたった1人で過ごす。
「子どもたちは普段、私のいないところで頑張っているんだな」と子どもたちが急にいとおしくなり、あまりイライラしなくなりました。いつまで続くか、ですが(笑)。
自分がどれだけ周りに支えられているのか、深く感じる機会にもなりました。どうしても人間関係をうっとうしいと思ってしまうこともありますが、やはり「つながり」は必ず大きな助けになる日が来ると思います。
働き方を見直すきっかけに
仕事を辞めてしまう人、ワーキングスタイルを変える人、預け先や在宅介護を見つけて働き続ける人。子どもが病気を持って生まれてきたワーママが取る選択肢は本当にさまざま。ちなみに私はこれを機に家族や双方の両親と時間をかけて話し合い、正社員として勤務していた出版社を辞め、フリーに転向しました。
次男の心臓は完治したと言われたけれど、病気をたくさんもらってくる保育園に入れるのは時期尚早、しばらくはゆっくり自分で見守ってあげたいという気持ちが強かったですね。
正直一番心配なのはお金でしたが、主人が一応安定した正社員であること、今後かかりそうなお金をざっくり考えても、ここ数年はなんとかやっていけることを見据えて決断しました。子どもが重い病気になった時、どういう決断を出すかは、言ってしまえばママ次第。
もちろん子ども第一ですが、目先のことばかり考えて焦って決断してしまうと、その先色々と苦しくなってしまうかもしれません。
家族や会社の上司・同僚や保育園・学校などの先生、主治医などとも良く話し合い、家族も自分も幸せに過ごせる長期的なライフプラン、ワークプランを立てられるといいですね。